第215回 投網の名人

前山 光則

 冬場は青海苔が愉しみだ。球磨川河口の汽水域、約2キロ弱の区間の川底に生えるのである。早ければ十二月下旬、遅くとも一月中旬には干潮時の川で青海苔を採ったり岸の土手で日に干す作業が始まり、三月中旬頃まで続く。毎年、老漁師のT氏から売ってもらうのだが、養殖ものよりもこの天然天日干しの青海苔の方が香りも味わいもはるかに勝る。
 それが、今季はなかなか青海苔が育ってくれなかった。T氏によれば、川の状態は上流で荒瀬ダムの解体工事が進んでいて水質も良くなってきているのだそうだ。それなのにこんなに青海苔の生育が遅れたのは、暖冬気味のせいだろうか。だいぶん待たされたが、2月3日にようやく採れて天日干しされ、夕方には新品が手に入った。T氏から袋入りのものを受け取るとき、嬉しくてしかたなかった。
 それはそれとして、最近、ある友人から「あんたはTさんと知り合いじゃろ」と訊ねられた。「うん、青海苔をいつも売ってもらう」と答えたが、友人は途端に改まった顔つきになって「あん人は、投網の名人ばい」と言うのである。かねてから道で出会えば挨拶するし、船溜りで焚火に当たらせてもらったりするが、まさか投網の名人だとは認識していなかった。友人は八代市で生まれ育っているから、昔のことも詳しい。その点、途中から住みついたわたしの方はどうしても分が悪い。
 友人の言うところでは、T氏ら不知火海辺の漁民さんたちが行う投網の仕方は肥後流といわれ、よその地域のよりも網がふんわり大きく丸く広がった末に、きれいに均等に水面へ達する。むろん、魚を捕獲する効率が良い。他の地域のやり方は土佐流とか薩摩流とかいろいろあるが、関東地方の細川流と肥後流は投網のしかたが共通しているそうだ。しかも細川流は、もともとは肥後の細川藩の侍たちが江戸へ上った際にあちらの漁師たちへ投網の技術を伝授したのが始まりらしい。関東細川流は、現在、江戸川筋で行われているという。それなら、たとえば葛飾柴又の矢切の渡し付近に行くならば、わが八代で行われるのと同じ美しい投網風景を見ることができるわけか。友人の蘊蓄に耳を傾けながら、「へーえ」「ほーお」と何度声を発したことだろう。
 何日か経って船溜りに立ち寄った時、T氏に投網のことを訊ねてみた。氏は焚火に薪をくべながら、「うん、若い頃はさかんに網を打ちよってなあ」、懐かしそうな顔つきになった。「昔は、そこの橋のところで投網の大会がありよったが」と上流を眺め渡した。「今は投網はなさらんのですか」と聞いたら、明るい声で「いや、今も、たまにはな」、近くのポールを指差す。振り仰げば、アッ、電信柱ほどもある高いポールに大きな網が掛け干ししてあり、しかもまだやや湿り気を帯びている。いや、参ったなあ。わたしはT氏のことを何も知らぬまま過ごしてきたのである。
 
 
 
写真①青海苔採り

▲青海苔採り。球磨川河口から約2キロ溯ったあたり。干潮時、漁師さんが青海苔採りをやっていた。一番遠くの方の舟に乗っているのがT氏。長い竿の先に鈎がつけられていて、川底の青海苔を掻き取るのである

写真②青海苔を啄む鴨たち

▲青海苔を啄(ついば)む鴨たち。漁師さんたちがいるところよりやや下手の浅瀬で、鴨たちがしきりに青海苔を食っていた。干潮時でないと川底の青海苔にはありつけないのである。そして彼らは岸辺に緑色の糞を垂れる