前山 光則
11月5日から二泊三日で神奈川県海老名市へ行ってきた。前回で自分の病歴を話題にしたが、そう、6日に海老名総合病院で「癌と向き合う」という題の講演をするための小旅行だった。
たった3日間の慌ただしい旅。でも、ちょっとでもヒマを見つけて愉しんでやるゾと、まず5日の午後1時に羽田空港に着くやすぐさま京急電鉄、地下鉄浅草線東武スカイツリーラインと乗り継いで、東京都墨田区の東向島駅に降り立った。快晴である。時刻は午後2時半。改札の外へ出てしばらく待つと、やがて千葉県在住の昔からの友人N女史が現れた。久しぶりに会うNさんは、相変わらず知的でかわいい表情である。ここらは、小説家・大江框(おおえ・ただす)と玉ノ井在の私娼・お雪との出会いと別れを描いた永井荷風の名作「濹東綺譚」の舞台だ。この一帯を2人で散策してみよう、というわけであった。
さて、「まずはお茶でも飲みたいねえ」と、2人で東武線のガード沿いに歩いているうち、N女史が前方右手に「玉ノ井カフェ」という店を見出してくれた。「玉ノ井」は、ここら向島五丁目界隈の昔の通り名だ。正式には、寺島町七丁目だったそうだ。入り口の右手にかっこいいテーブルと椅子が置かれていて上品、洒落た感じでありながら、その上方ではかき氷の旗も風に靡いていて下町風だ。なんとなく惹かれてしまうのだった。そして、入ってみると店内には永井荷風や「濹東綺譚」に関連する書籍や写真等がいっぱいで、これは何物にも代え難い場所と出会えたのである。実際、カフェのおかみさんは親切に土地のことをレクチャーしてくれた。
このカフェは、ホットコーヒーが実においしい。それを啜りながら聞いていたら、「濹東綺譚」の中で主人公の「わたくし」こと小説家・大江框と私娼・お雪とが、雨の中、最初の出会いをする場所は、おおよそ店の裏手の方になるのだという。いや、そうと聞いたら早速実地に歩いてみなければならない。
歩いてみると、古くからの家があるわけではない。なぜなら、戦災でここらもひどく焼かれてしまったのだそうである。だが明きらかに昔の名残りがあって、それは何と言っても実にまことに入り組んだ道。狭いし、グニャグニャしていて、通り抜けできるのだか行き止まりになっているのだか分からない。玉ノ井はラビリンス(迷路・迷宮)の町だったのだ、と実感させられた。そして、道の細い曲がりくねりを見ているうちに、アッ、もしかしてここは下に暗渠があるのではないか。「いつも島田か丸髷にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴声とはわたくしの感覚を著しく刺戟し、三四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである」――つまり、こういうふうな、蚊が多いけどなんだか哀愁を漂わせる溝があったはず。わたしは、作中の大江框の呟きが聞こえてくる気分であった。Nさんから「ブラタモリって感じね」と冷やかされてしまった。
いや、それで良いのだ、と思った。何を目当てにするのでもなく、ただただラビリンスの中を迷いつつ歩くだけでよかった。秋葉神社というところへ出ると、殊勝に参拝した。日が暮れる頃、荷風の筆塚がある北区南千住(通称三ノ輪)の浄閑寺に行ってみたが、残念、門が閉まっており、見学することはできなかった。ここは遊女たちの駆け込み寺でもあったそうで、次の機会にはぜひまた来てみたいものだ。Nさんが、「鰻を食べましょ」と近くの「尾花」という老舗鰻料理屋へ連れて行って、御馳走してくれた。人気のある店で、行列して20分ほどは順番を待たねばならなかったが、美人と一緒だから並んでいるのが苦にならなかった。そして、鰻飯はひどくおいしかった。満足してNさんと別れ、海老名市へと向かったのであった。