第384回 稚鮎が川を遡る

前山光則
 
 今、青葉若葉がみずみずしい。一年中で最も過ごしやすい季節なのではなかろうか。
 球磨川のことがいつも気にかかっている。
毎朝散歩するが、三角洲の中に住んでいるのだからどの方角に行っても球磨川本流か、あるいは本流から分かれた前川・南川の岸辺に出ることができる。川岸に立つと、上流の坂本町や球磨・人吉方面はどれほどの復旧ができているだろうかな、と、案じてしまう。
 まったく、昨年7月4日の豪雨は凄かった。わたしの故郷・人吉市の場合、地域のシンボル的存在である青井阿蘇神社が浸水被害に遭った。あそこは球磨川から200メートルぐらいしか隔たっていないが、神社の楼門前から2メートルほど土地が高くなっており、つまり段丘の上にあると言って良い。だから、例えばわたしたちが高校生だった3年間(昭和38・39・40年)連続して大水害が発生し、最大の支流である川辺川にダムを造る話が持ち上がったのだったが、あの時ですら青井神社が浸水することはなかった。しかし、今回は入口の楼門あたりで人の背丈に匹敵する水深となったそうだ。無論、奥の社殿・本殿にも水が押し寄せた。神社よりもさらに300メートル程北方にはJR人吉駅があるが、ここですら濁水に浸かってしまった。肥薩線はあちこちで浸水し、鉄路が破損し、以来、機能が完全に停止したままである。
 あれから9ヶ月、いまだに自分の家での生活に戻れていない人が多い。わたしの親戚にも、仮設住宅に入っている者が数人いる。知り合いや友人たちが、毎日、住まいや仕事場の再建に汗を流して頑張っている。そんなわけで、球磨川流域のあれやこれやが頭の中を駆け巡り、気になってしかたがない。時には、車で上流に出かけてみる。大した助力をしてやれるわけではないのだが。
 さて、しかし、最近になって明るい話題がもたらされた。というのは、球磨川が上流の谷間を駆け抜けて八代平野へ出ると、まず本流と前川の二つに分かれる。いずれの側にも流量調節や感慨用のために球磨川堰・前川堰がある。双方ともに、魚たちが流れを上り下りできるようにとの趣旨で魚道が設けられている。そして、本流の方の球磨川堰では、漁業協同組合の人たちが魚道から稚鮎を掬い上げ、上流へ運ぶという作業を行なっている。例年、春の始まり頃から5月中旬まで続けられるのだという。そして、6月1日が鮎漁の解禁日だ。
 その球磨川堰で上がる稚鮎の数が今年はえらく多い、との情報が耳に入った。4月16日付け「美しい球磨川を守る市民の会」からのハガキによる「お知らせ」によれば、「球磨川の天然鮎の遡上が今年はもう120万尾を超え」た、というのだ。昨年は19万尾だったそうだから、約6・3倍。しかも、6月1日の鮎漁解禁日までにはまだ間があるので、もっともっと増えるであろう。興味をそそられたから、先日、球磨川堰の現場へ見に行ってみた。そしたら、ほんとに魚道の途中に水が一時溜まるところがあって、遡上してきた稚鮎たちが自ずとそこへ誘導される仕掛けになっている。その中に稚鮎がピチピチ、キラキラと元気な姿を見せていた。みな、体長6、7センチほどであろうか。漁協の人が、後でまとめて上流の坂本町や球磨・人吉方面へ運んでやるのだという。
 稚鮎の元気な姿を目にすると、こちらまで胸がワクワクしてきた。
 見ていると、漁協員さんが掬い上げてやっているのは稚鮎だけでなかった。いわゆる山太郎ガニつまり川蟹であるが、直径1センチに満たないくらいの、ほんとにかわゆい川蟹だ。これをも見逃さず、丹念に掬い上げるのだという。成長すれば、人の拳ほどの大きさになってたいへん美味である。さらには、
「これはイダばい」
 と漁協の人が網をこちらへ差し向けて見せてくれた。見た目に稚鮎とちっとも見分けがつかない。実はこのイダは、「なーん、イダゴロなんか食えるか」とあざ笑って八代方面では誰も捕らない。しかし、
「人吉ん人たちは食べるからなあ」
 と漁協の人は笑顔を見せるのだった。イダという魚は、鮎と比べるとちっともうまくない。しかし、冬に入って特に寒の頃のイダとなると、ずいぶん違ってくる。だから、球磨人吉方面ではわりとイダゴロは需要があるはずだ。
 鮎や川蟹だけでなく、このイダまでもが救済の対象にされているので、面白かった。
 それにしても、稚鮎の遡上がえらく多いのはなぜであるか。漁協の人によれば、
「上流の瀬戸石ダムが、ゲートを開いたままだもんなあ。あれが良かとバイ」
 言われてみれば、昨年の大水害で坂本町の瀬戸石ダムは堰堤や水門が川の流れを邪魔する結果となり、ダムから上の浸水被害をひどくする一因ともなってしまった。そして、あれ以来、水門は開いたまんまである。だから、昨年の落ち鮎シーズンに上流から下ってきた鮎たちは何の苦労も要せずダムから下へと行くことができたのであったろう。そして、河口一帯で産卵し、卵は孵化し、春の過ぎつつある今、こうして稚鮎たちがうじゃうじゃと川を遡りつつある。
 例年よりも数倍の規模で稚鮎が球磨川へと上ってきた――何という明るい良いニュースであろう。球磨川がダムなどなかった昔に帰ってあちこちで鮎が豊富に泳ぐ風景、想像するとワクワク、ウキウキしてしまう。
 そういえば、人吉市が生んだ俳人・上村占魚(うえむら・せんぎょ)の句に、球磨川の鮎を詠んだものが結構ある。 

 鮎の瀬の激(たぎ)ちに架かる橋をゆく
 わが里は球磨の人吉鮎どころ
 ふるさとの友のひとりに鮎問屋
 鮎の瀬の音に夜更くる峽の町
 鮎の瀬をはさみて球磨の山そそる
 ここにまた鮎買舟の仕立ある
 鮎漁の果てたる球磨に猟期來る
 球磨の鮎落ち果てて川ひびくのみ
 球磨の鮎大きく育ち梅雨晴るる
 鮎掛くや球磨に生れし生業(なりはひ)に
 宿裏に鮎買舟の戻り來し

 上村占魚は、大正9年(1920)、人吉の町なか、老舗の鰻料理屋に生まれた。長じて東京へ出て、東村山市に住んで蒔絵師としても俳人としても活躍し、平成8年(1996)に亡くなっている。あちこち盛んに旅する人だったが、一方で故郷・人吉への愛着が強く、結構ひんぱんに帰省した。これらの句は占魚の愛郷心の表れと見て良かろう。
 そして、である。

 ここにまた鮎買舟の仕立ある

 これは昭和26年(1951)の作だそうだが、その当時球磨川にいかに鮎漁が盛んに行われていたかが偲ばれるではないか。流域のあちこちで鮎漁が展開され、鮎を買い付けてまわる業者が結構いたものと思われる。無論、当時、川で漁をする人たちはずいぶんと多かったろう。鮎を買う業者たちは舟を操って川を動き回り、漁師たちから直接獲物を買い取ってまわっていたのである。川の中は賑やかだったから、「ここにまた」である。

 鮎掛くや球磨に生れし生業(なりはひ)に
 宿裏に鮎買舟の戻り來し

 この2句などは昭和37年(1962)の作だが、その頃でもまだ鮎は盛んに捕れていたのか、と、ちょっと驚きである。というのは、人吉の下流にはすでに球磨川に荒瀬ダム(昭和30年竣工、平成30年撤去)・瀬戸石ダム(昭和33年竣工)ができていて、鮎や川蟹・鰻などの自然遡上はできなくなってしまっていた。それなのにまだ球磨川流域には釣竿や刺し網を使っての鮎漁を生業とする人がいたし、川岸の旅館には「鮎買舟」があったことが知れる。わたしなどその頃は中学生であったが、そういえば同級生の中に川漁師の子がいて、夏場にはいつも彼の弁当のおかずに鮎の塩焼きや煮付けが入っているのを羨ましくのぞき見したものであった。
 すでに荒瀬ダムは平成30年(22018)に撤去されているが、現在水門が開いたままの瀬戸石ダムもなくなるということになるなら、これは昔の球磨川に近づくための良い機会となるのではなかろうか。もっとも、八代平野への入口に遙拝堰というのがあって、ここは魚道が設けられてはいるものの、遡上するのには稚鮎や子蟹たちはさぞかし難儀なことだろう。こうした場所がある限り、漁協による稚鮎放流はまだ続けねばならぬだろうが、それでもダムが一つなくなるとこのようにも良い影響が出て来る。考えてみるだけでワクワクしてしまう。
 こういうふうに稚鮎遡上の情報を明るい気持ちで受け止めていた。
 そしたら、昨日、鮎漁に詳しい人が難しい顔してこう言った。
「うんにゃあ、そりゃあ稚鮎の遡上の数が多いのは嬉しいよ。ばってんな、安心はでけんとばい」
 その人が語るのには、稚鮎が上流のあちこちで放流された場合、
「果たして、充分に育つか、どうか、たい」
 それが案じられるのだそうだ。なぜかといえば、まさしく昨年7月の豪雨の時、川には相当な土砂や瓦礫(がれき)が流れ込んだ。
「土砂ちゅうよりも、ヘドロやガラクタたいな。ずいぶんと流れ込んで、まだ上流・中流・下流のあちこちの川底に堆積しておるとじゃなかか」
 もしそうであれば、成魚となってからの鮎は生食をせず、もっぱら川石に生えているコケ(硅藻)をしか食べない。川底がヘドロや瓦礫で荒れているならば、コケが生える環境としては最悪のこととなる。
「せっかく川のあっちこっちに稚鮎が上って行っても、餌がなからんば育たんとばい」
 では、果たして球磨川全域でどの程度のヘドロや瓦礫が積もっているのか、いないのか、実は球磨川漁業協同組合としても全域を把握できてはいないそうだ。
 同じような懸念は、他の知人からも聞いた。なるほど、確かに、稚鮎が大量に遡上してくれていることだけで今年の夏を楽観視するわけにはいかない。
「しかしなあ、瓦礫の撤去は少しずつでも行われておるし、ヘドロは、球磨川って急流だからわりと早い内に流れてしまうのじゃなかとですか?」
 と言ってみたが、
「うーん、しかし、なあ……」
 首を傾げて、煮え切らぬ応答をするだけだ。
 またまた球磨川流域のことで心配が生じたな、と思う。
 梅雨明け頃に、上村占魚の詠んだような「球磨の鮎大きく育ち梅雨晴るる」、こうした光景が見られるか、どうか。いや、ぜひとも大きく育って、球磨川の中にたくさん蠢いていて欲しい。球磨川大好き人間として、切にそれを願っている。

▲球磨川堰遠景 球磨川堰を下流から写した写真。右岸側の岸に魚道が設けられており、稚鮎がそこから上流へと運ばれて行く。