前山光則
連休中の5月4日(火曜)、空は朝から快晴であった。遠方から客が来て、人吉方面を観てまわりたいとのことだったので、友人等も誘い合わせたりして案内した。
昨年の7月4日に大水害に遭って以後のふるさと人吉は、まだまだ爪痕が生々しい。まず人吉城歴史資料館を案内したかったが、残念、まだ閉館したまま。この資料館は、人吉城址の中にある。徳川幕府成立の頃の人吉藩家老・相良清兵衛の屋敷があった場所に建てられており、敷地内にとても大きな地下室が存在する。すぐ近くの清兵衛の子の屋敷跡にも、やはり地下室がある。なぜ家老とその子の屋敷内両方にそのようなものが造られていたのか、まったく謎であり、とても興味深い。だが、いずれも水害で浸水後、復旧できておらず、見学できぬままだ。しかたなく人吉城址内を散策し、後は近くの球磨焼酎醸造元を見学したり、青井阿蘇神社への参拝、仮設住宅に親戚を訪ねたり、球磨川沿いに球磨村までドライブして川べりの被災状況等を観てまわったりして、夕方までの時間を過ごしたのであった。
以前と比べれば、災害の爪痕はよほど生まなましさが薄まってきてはいる。しかし、毀れたままの建造物はまだまだ次から次に目に入る。あの大水害はほんとに凄まじかったよなあ、と、あらためて溜め息が出た。
しかし、一方で、心和むものにも出会えた。
昼食時に、人吉市の真ん中の紺屋町にできているコンテナマルシェへ行ってみたのである。ここはもともとは広い駐車場であるが、野外でのイベント会場としてしばしば使われてきた。そして、今年の1月末からは、被災した市内の料理店や旅館やらがコンテナを利用しての臨時の店を開いている。
現在、7店舗が営業している。カレーや弁当といったものがあるし、コーヒーとか冷たい飲み物なども売られている。広場の中央にはテントが張られ、テーブルや椅子が置かれて寛ぐことができる。わたしは、旅館の女将さんが作ったタコライスを買ってパクついた。いや、これがとてもおいしい。女将さんたちって客扱いが上手なだけでなく料理の腕も良いのだな、と感心した。その隣の店ではコーヒーが買えた。タコライスをつついて、コーヒーを啜り、心地良く晴れた空の下、客人たちと共にテントの下で昼の1時間余を過ごしたが、なんだかゆったりした気分に浸ることができて、心地良かった。
「これは、復旧が終わっても、ここで続ければ良いのじゃないかな。市民の憩いの場として最適だし、観光客も愉しめるゾ」
その日一緒につきあってくれた友人が、そう言うのだった。わたしも深々と頷いた。
午後は、もう一つJR人吉駅前にもやはり駐車場敷地を利用して臨時商店街モゾカタウンが設けられているので、そちらの方に行ってみた。愛称モゾカタウンの「モゾカ」とは、「かわいい」の意である。実際、小さくて、モゾカ。全部で23店舗が通路を挟んで頑張っている。ラーメン店や中華料理店、居酒屋といった飲食店が並ぶが、それだけでなく醤油店、寝具店、辛子レンコン屋、鍵屋、歯科医院等も出店しており、ほんとに「臨時商店街」である。どれも、自分たちの店が水害でやられてしまったが、再開できるまでの間ここで頑張るのである。寒い時分にはまだ閑散としてややさびしかったものの、5月4日午後のモゾカタウンは活気に満ちていた。
その中の1軒、馬場醤油店にフラリと入ってみて、エッと目を疑った。本来の営業品目である味噌・醤油の他、鹿児島県奄美大島の名産ミキがペットボトル入りで沢山置かれているではないか。
ミキは、いうなれば甘酒だ。しかし、こちら本土の方の甘酒と違って麹菌を用いず、米を炊いて作ったおかゆにサツマイモのおろし汁(ナマガンという)を加えて発酵させるのである。甘酒が「飲む点滴」と言われるのと同様、このミキも奄美大島の人たちにとって夏場の栄養ドリンク的な役割があり、夏バテしている時にこれを飲むと元気が出る。わたしなど、学生時代、真夏に1週間ほど奄美大島内を経巡った折り、疲れた時にミキを飲んで活力を得ることができたのであった。奄美市内にミキを製造する店は何軒もあるが、
「これは、色々試してみましたが、一番おいしいので取り寄せました」
と店の人。わたしは迷わず購入した。水害にめげず、臨時店舗で頑張り、品揃えにもしっかり努力する、こうした姿勢には頭が下がるのだった。
夕食は、紺屋町という町内にある居酒屋・左文字(さもんじ)で愉しんだ。この店にはお品書き表がなくて、「2000円でお任せ」だけがメニューである。つまり、店に入って客席に座れば、刺身や煮魚や茶碗蒸し、ポテトサラダ、きんぴらゴボウ、筍のヒコズリ、山椒の佃煮といった料理が小皿にかれこれ7、8種類出てくる。それらをつまんでいるうちには、海老やら野菜やらの揚げたて天ぷらが大皿でドーンと来る。最後には、御飯とみそ汁である。料理はどれも、たいへんおいしい。焼酎は4合瓶に入ったのがテーブルに置かれて、自由に飲んで良い。これで1人あたり「2000円」なのだから、耳を疑う人も出てくるほどだ。
しかも、5月4日の夕食の天ぷらは、季節柄、山菜が登場した。ダランメ、ワラビ、こさん竹、そしてコシアブラまでもがパリッと揚げてあってビックリした。コシアブラは山菜の女王といったら大袈裟かもしれないが、九州では山の深いところへ行かねば採れないはず。加えて、サツマイモ、エビも大皿には盛り付けてあった。
「コシアブラが、よくまた、手に入りますね」
と友人が感心していたのだが、店の御主人・谷口亨さんは、苦笑いしながら、
「自分で出かけて行って、採って来るとです」
とのこと。結構朝早くから山に入って、採取するそうだ。ただ、自分では運転免許を持たぬとのことだ。それなのに、球磨の山々の奥深くまで分け入るのだから、
「大変だなあ」
と言ったら、
「いやあ、連れて行ってくれる人がいるから」
照れくさそうな返事。これだけの味を出せる店主には、結構手助けしてくれる人がいるのである。
この居酒屋も、水害に遭った。実は、店は、昨年7月4日までは現在地からほんの50メートルほど先の方の山田川の岸近くにあった。3百メートルほど下れば球磨川に合流するが、当日、山田川もひどく増水した。それだけでなく、球磨川本流からの逆流水も押し寄せてきたので、水深4メートルを超すまでになってしまったのだという。店主自身はさほど遠くないところのアパートの3階に住んでおり、
「2階までは水が押し寄せたですが、3階はなんとか無事だった」
と店主は語ってくれた。無事だったものの、水がなかなか引かず、その日は何も食べずに過ごさねばならなかった。不便な毎日が続いたが、幸いなことに、今年の早春になって、現在の場所に新しい店を構えることができたのだという。
店の隅に被災当時の付近一帯の生なましい写真が数点貼られており、見入っていると溜め息が出てしまう。
店を出る時、谷口さんはわたしたちみんなに山椒の葉の佃煮を小さなプラスチック容器に入れて、一人一人に持たせてくれた。何よりのお土産であった。
その日、帰宅して寝に就くとき、ふと思った。自分がもし去年のような大水害で被災してしまっていたら、今頃どうやって日々を過ごしているのだろう、と。今日出会った人たちのような頑張りが、できるだろうか。自分は意気地無しだから、とっくに挫けてしまっているに違いないのだ。人吉の人たちの健気さに、あらためて敬意を表したくなった。
翌日は、昼、山椒の葉の佃煮を暖かい御飯の上に載せて食べた。香りも、味も、実に申し分なかった。何よりのお土産であったなあ。
追記 前回、球磨川堰を遡上する稚鮎の数が120万尾を超えた、昨年19万尾だったそうだから約6.3倍だと記しておいた。だが、その後、最終的には260万尾に達したそうである。昨年よりも、13.6倍増えたことになる。