前山 光則
梅雨入りして間もない頃、妻が、乳井昌史著『南へと、あくがれるー名作とゆく山河』(弦書房)は特に『次郎物語』の舞台を訪ねる文章が興味深かったと言い出し、作品そのものも読みはじめた。おお、下村湖人の名作、懐かしいなあ。それならば、と、わたしも37、8年ぶりに手にとってみたのだった。文庫本で全3巻、全部で1462ページにもなる大長編小説だが、たちまち引き込まれた。なんだか初めて読むような新鮮さだった。
主人公の次郎が幼くして乳母のもとに預けられ、後に自分の家に戻るものの祖母に冷たくされ、母親との間も感情的にうまくいかない。そのため屈折した感情で幼少年期を送る、といったことは覚えていた。しかし母親が死に際に「子供って、ただかわいがってやりさえすればいいのね」と次郎たちに謝る実に感動的なシーンは、恥ずかしながら忘れていた。
中学校に入ってから朝倉先生という素晴らしい人との出会いを果たした次郎が、「先生、剣道は何のためにやるんですか」と尋ねる場面がある。先生は静かな口調で「それはみごとに死ぬためさ」と答えるのだが、アッ、これは「葉隠(はがくれ)」の思想を喋っているではないか。でも今だから分かるわけで、高校生の頃には全く気づけなかったなあ。
6月19日には、まだ途中までしか読み終えていなかったのに、雨の中を車で2時間余かけて下村湖人の生家へと行ってみたのである。佐賀県神崎市千代田町、広い平野の一画、クリークのほとりの大きな木造二階建て。中へ入ると、外の雨の音が遠のく。妻とわたしだけが見学者で、案内の人は丁寧に説明してくださるし、ゆっくり過ごすことができた。
その後、古代遺跡吉野ヶ里へ立ち寄って、もう帰るつもりだったが、欲が出てきた。福岡県小郡市の野田宇太郎文学資料館を訪ねてみたのである。野田氏は昭和初期から50年代にかけて詩人・文芸評論家として活躍した人で、「文学散歩」という語の創始者でもある。文学資料館の専門員Yさんがたいへん熱心だし親切な方で、色々くわしく説明したり資料を見せてくださった。そして、なんとまあ『次郎物語』の初版本を見ることができた。これは昭和16年2月に小山書店から刊行されており、長い小説の中の「第一部」ということになるが、その折り原稿のすばらしさに注目して1冊にしてあげた編集者が野田宇太郎氏だったのだという。そのように図らずも貴重なものに出会えて、下村湖人と野田氏との結びつきをも知ることができたのだった。
『次郎物語』は、一昨日、全3冊読了した。最後の第五部は、日本が戦争へ突き進む中、言論の自由が圧迫される、次郎には恋の悩みも重くのしかかる、さてどうなるかというところまでである。だがこの第五部刊行の翌る年(昭和30年)、作者は亡くなった。下村湖人はさぞかしもっと生きていたかったろう。