前山 光則
こないだ泊まりがけで福岡県の久留米市へ出かけたのだが、朝、玄関先から空を見上げていて淵上毛錢の「春の汽車は遅い方がいゝ/おーい/その汽車止めろお/と言って見ようか/春の汽車は遅い方がいゝ」という詩を思い出した。ああ、心が軽やかになる詩だなあ……、なんだか、乗用車で行く気がしなくなった。
JR八代駅へ行って、窓口で切符を買い求めた。すると駅員さんが「新幹線で?」と聞く。「うんにゃ、在来線。各駅停車で行きます」と答えたら、不思議そうな顔をされた。新幹線を利用すれば、乗り換えなしの便だと久留米まで35分、熊本で乗り換えるとしても50分かからずアッという間に到着するが、在来線なら2時間半かかってしまう。早く着く方にすれば良かろうに、と言いたげだ。
そのような視線にもめげず各駅停車の電車に乗り込み、ゴットンゴットン揺られた。すると、スピードがさして出ないし、駅毎に停車するものだから、景色が実にゆっくりじっくり目に入る。遠くの山々が春霞を帯びている。沿線に広がる田んぼや畦にだいぶん青草が萌えてきている。川の流れがうねうねとして、良い曲線だ。それに、乗客が少ないためか、車内がなんとなくおっとりした雰囲気だ。景色を見るのに飽きると、本を広げてみた。
春陰や犬はひもじき眼をもてる
待春や病舎に菜売りたまご売り
旅なれや花に寒しと書くばかり
作者は、前回触れた石橋秀野である。車中で俳句の本を読むのは、似合っているのではないだろうか。しかも、今、春である。春の句ばかり拾っていくと、季節感を共有できる。
翌日は、西鉄久留米駅から各駅停車に乗った。いくつかの駅で特急電車に追い抜かれながら約1時間かけて中島という駅に着いた時、急に思い立って下車した。ここは駅のすぐ近くの路地で朝市が見られるから、冷やかしたくなったのだ。新鮮な魚や野菜や乾物、天ぷら等が売られている路地を辿るうち、ついつい海茸(うみたけ)の粕漬とジャコ天に手が伸びる。おいしそうなのだ。買い物した後、近くの矢部川に出ると、海から潮が寄せてくる頃合いで、漁船が結構いた。そして次の電車が来たので飛び乗り、大牟田へ。大牟田からはJR在来線に乗り換えて八代へ帰ったから、結局ずっと各駅停車に世話になった。
今また淵上毛錢の詩が頭に浮かんで来ている。毛錢はあの春の汽車の詩をじっくり推敲し、削り込み、結局、
春の汽車は遅い方がいゝ
と、たった一行だけの詩にしてしまっている。うん、そうだ、と、今、毛錢に同感である。春の電車はのろい方が良いのだ。