前山 光則
前回触れたイギリスへは、最初は平成5年8月に家族3人、2週間の旅だった。ドーバー海峡近くの町でKさん・L氏の結婚式に出席した後、あちこち巡ったのである。
スコットランドの山あいの町ピトロクリーに1泊した時、ホテルのトイレの水が茶色いので面食らった。この地方一帯の水はピートと呼ばれる泥岩層から湧き出てくるため、色がついているのだそうだ。実際、エドラドールという小さな醸造所を見学したら、そこの裏山の湧き水も茶色であった。8月なのに、朝、ホテルの庭に霜が下りていたり、ピトロクリー駅の売店に「サムライパワー」という名のキャラメルが売られていて珍しかったこと、駅にバッグ一つ置き忘れたが、あとで無事に戻ってきたこと等々、忘れられない町だ。
ロンドンでは大英博物館で熊本の銅版画家・浜田知明氏の作品展が開催され、わが八代市から浜田ファンたちが団体でやってきていた。ナショナルギャラリーの前を歩いていたら彼等と出くわし、お互いビックリ仰天、ひとしきり八代弁が飛び交った。そのロンドンで泊まったのは、大英博物館のすぐ近くガワーストリート57番地にある安宿だった。とはいえしっかりした石造建築物で、あたりには同じような建物がずらり並んでいた。
日本へ戻って来てから、驚いた。出口保夫/アンドリュー・ワット共編の『夏目漱石のロンドン風景』によれば、夏目漱石が明治33年10月にロンドンへ渡った際、不安な気持ちを抱えながら最初に2週間泊まったスタンリーホテルがガワーストリート76番地とあるではないか。わたしたちの泊まった57番地とは目と鼻の先である。しかもその頃の写真を見ると、街の姿が現在もまったく変わっていない。それから漱石は、ピトロクリーには留学を終える直前の明治35年10月に親日家の弁護士ヘンリー・ディクソンの招待で1週間か10日ほど滞在しているのである。これは心穏やかな旅だったようだ。ディクソン邸はピトロクリー駅から歩いて10分、石造3階建てで、現在はホテルになっているという。ガワーストリートもピトロクリーも、そうと知っていればしっかり見てまわるのであったなあ、としきりに悔やまれた。
6年後には、やはり8月に2週間、家族や友人共々旅したが、その時はスコッチウイスキーの中心地スペイサイドを巡るのが主目的だったから、漱石ゆかりの場所に立ち寄る余裕がなかった。ただ、その2度目の旅の時、クレゲラヒという町のスペイ川で母娘が泳いでいた。彼らが岩の上から川の渕に飛び込むと飛沫が上がり、そのたびに夢まぼろしのようにミニチュアサイズの虹が現れた。あの光景は、今ふりかえってみても胸がときめく。
このところ屋根裏部屋では暑くなったから階下へ移動すべく雑多なものを整理中だが、こうしてイギリス旅行のことが次々に思い出されて作業が進まない。実に落ち着かない。