前山 光則
こないだ、あるご婦人から「夜、なかなか眠れなくて、イヤなことばかり考えるし、困ってます」との悩みを聞かされた。「分かりますよ」、大いに同情した。わたしの場合は、寝つきはたいへんよろしい。でも夜中に何回も目が覚めてしまい、そうなると、暗い部屋の中でご婦人同様ひたすらネガティブな思考が始まる。これから先、生活をちゃんとやって行けるのだろうか、悪性腫瘍が再発しはしないか、原稿の締め切りが心配だ、手紙の返事を書くのを忘れていた、等々。もう、眠っている場合ではなくなってくるのである。
そんな状態を振り払うために、数年前に思いついてうまくいっている方法がある。まず、眠れなくてもトイレに行く以外は寝床から動いてはいけない。あくまでも蒲団かぶって就寝モードを保つこと。そして目をつぶったまま頭の中で季語を考え、五・七・五を作る。そう、定型俳句だ。五・七・五ならば川柳や狂句でもよかりそうなものだが、いけない。また、種田山頭火のような自由律俳句、これはなおさら駄目。なぜ定型の俳句かと言うと、五・七・五と字音を整えるだけでなく季語も織りこむというきちんとした約束、これがミソである。「季語も、ですか。面倒ですね」、ご婦人が顔を曇らせたが、「うんにゃ、面倒だからこそ睡眠薬になるとですよ」と説いた。「例えば、山桜桃(ゆすらうめ)の花とか、辛夷(こぶし)はもう咲いたかな。こうしたものを題材に、どぎゃんですか」と勧めた。
言い表したいことを五七五にまとめるためには、ああでもない、こうでもないと苦心せねばならない。しかも季語を必ず用いねばならぬ。そんな七面倒くさいことでありながら、不思議なもので生活苦や病気の心配、原稿の締め切り、手紙の返事の遅れとかを忘れるのである。忘れないまでも気にならなくなるわけで、五七五を、ああでもない、こうでもない、と……すると、頭がくたびれてきて、いつしか睡眠状態に入っている。気づくと朝だった、という具合だ。ご婦人には、そのような自分の眠気導入術を喋ってみたのだった。
数日後に会ったら、ご婦人の目が輝いていた。「俳句は、ホント、疲れて、ぐっすり眠れますね!」とのこと。どんな句ができたのか聞いたら、メモされていて、見せてくれた。
白花に赤色秘めてゆすらうめ
ふるさとの辛夷固くて春遠し
一句目は、山桜桃の花の色は単純な白色ではないので作ってみた、とのこと。二句目、辛夷がまだ蕾の状態で、春が待ち遠しいな、という気持ちを言いたかったのだそうである。「俳句になってるでしょうか」とご婦人は恥ずかしそうにしていたが、いやいや、悪くない句だ。それに、いつになく眠れたということ、これが最大の収穫なのだから!