前山 光則
学生時代、アルバイト先のお使いでよく銀座から築地市場の研屋さんへ行っていたものだ。また、友人たちと共に築地の先の勝鬨橋を渡り、月島も通り越して夢の島まで第五福竜丸を見に行ったこともある、という具合にあのあたりは思い出深い一帯だが、月島の中の佃界隈へはなぜか今まで縁がなかった。それで、4月19日、はじめて行ってみた。
地下鉄有楽町線の月島駅で下りて佃一丁目へ向かう。漁師町の特徴ともいうべき細い路地を挟んで、ぎっしりと民家が建ち並ぶ。路地の向こうの方に水面が見えて、佃の船溜まりである。隅田川につながっていながら水は澄んでおり、水辺の船宿には藤の花房が美しい。向こうの方には高層ビルがずらりと見えて、ここらはビル街にとり囲まれているかのような印象である。しかも、たいへん静かだ。一軒の家の玄関脇に手押しポンプを見かけたが、たぶん軒先を掃除したり盆栽に水をかけてやるのに使われているのだろう。なんだか、遠い昔へタイムスリップした気分であった。 船溜まりに沿って、住吉神社に行き当たった。境内の案内板によれば、ここは「江戸初期に摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保二年(一六四六)に現在地に創建された佃島の鎮守です」とあり、それならばと、佃訪問のご挨拶の気分で参拝する。社務所には人がいない。小さな達磨さんとお神籤がセットでビニール袋に入れられて、200円。お代は料金箱に落としてやればいいのである。娘や女房の分もと3つ買ったのだが、わたしの後に訪れた2人のご婦人も「あら、かわいいわね」とコインを料金箱に入れた。「いや、ホントですよね」、見知らぬ同士でお神籤を褒め合うこととなった。
あまり広くない佃一丁目だが、一般の民家の他に稲荷神社や地蔵堂があり、銭湯、塗箸専門店もある。佃煮屋だけでも3軒あって、これはさすが本場なのである。隅田川に面した側には住吉水門があり、その傍が佃の渡船場跡だ。この界隈出身で最近亡くなった吉本隆明に、「佃渡しで」という題の良い詩があったのを思い出す。「水に囲まれた生活というのは/いつでもちょっとした砦のような感じで/夢のなかで掘割はいつもあらわれる」、この部分が特に好きだ。「砦のような感じ」というのが、わたしも球磨川河口の三角州内に住んでいるから共感する。それから、渡船場跡の近くには劇作家・北条秀司の句「雪降れば佃は古き江戸の島」を刻んだ石碑があって、なるほど、冬、雪がちらつく時にはまた格別の風情が漂うことだろうなあ、と思った。
昼飯は、小さな、品のいい店で食った。定食が出てくるまでの暇つぶしに水槽に飼われている目高を写真に撮っていたら、店の女将が料理を作りながら「さっきも神社で撮ってらっしゃいましたね」と声をかけてくれた。佃の雰囲気にしっとりと似合う人であった。