第226回 汽笛饅頭をもう一度!

前山 光則

 6月4日、若い友人の車に乗せてもらって熊本県あさぎり町の狗留孫渓谷や宮崎県えびの市、鹿児島県湧水町等を遊んで回った。
 湧水町を通過中、午後2時半頃過ぎ、友人K君が「おやつ欲しいスね」と呟くので、よくぞ言ってくれた。吉松駅前通りの老舗菓子屋さんに立ち寄ることにした。JR肥薩線と吉都線の交わる、吉松駅。ここらで有名なのが、駅前通りの「みやした菓子舗」で造られる汽笛饅頭である。石炭をイメージした饅頭で、おはぎ程度の小振りのもの。中身の白餡が実にうまい。油で揚げてあり、だからといって沖縄のサーターアンダギーみたいなドーナッツ風ではなくて、しっとりした肌触りの揚げ饅頭である。これを口に入れなくては湧水町へ来た気になれないほどの名物饅頭だ。
 ところが、店の前に立ったらガラス窓に「5月23日をもちまして、閉店することとなりました。これまで、長年にわたりご愛顧いただき、まことにありがとうございます。店主」との貼り紙。エーッ、な、なんということだろうか。諦めきれず、カーテン越しに覗き込んだり、店の横の調理場、これがまた鉄道の客車のかたちをしたユニークなものであるが、そこへよじ登って未練たらしく中を観察してみたものの、虚しい静けさがあるばかり。だがK君が店の入り口のチャイムに触れてみたら、応答があった。やがて奥の方から宮下良信さんが出てきて、中へ入れてくださった。
 入って左側がレジのある場所で、菓子の並んでいたショーウインドーもまだそのまま。いや、違う。ウインドーには店のことを紹介した新聞が貼られ、その上には機関車の模型が置かれている。改めて店内を見まわすと、鉄道関係の写真や資料やらがいっぱい展示され、「おやじさん、まるで鉄道資料館ですね」と言ったら、宮下さんは大きくうなずいて、「そのうち、吉松駅に寄贈するけどね」とおっしゃる。なぜまた汽笛饅頭を造るのを止めたのか伺ったら、一緒に仕事してきた奥さんが2年前から体が弱ってきて働けなくなったので「わし一人では、もう無理じゃからねえ」と、寂しそうな顔になった。「しかし、せっかく来たからちょっと説明してあげよう」、宮下さんは傍らにあった細い棒を握ってSLの方へあててみせ、スックと背を伸ばす。「ほれ、この機関車のフードはなぜここにあるのか、分かるかね」「……」「では、この丸い突起はどういう機能を持つと思うかね」「さあ……」「あと一つ、C42とかD51は何を意味するかといえば、車輪の数が、ですなあ」、宮下さんのウンチク話は次から次へと展開し、とどまることを知らず、とても80歳を越えた老人とは思えない元気さである。
宮下さんの鉄道に関する豊富な知識と熱意にはまったく脱帽!……しかしですよ、こんなに熱く語るエネルギーがあるのならば、汽笛饅頭を再開してくださいよ、宮下さん!
 
 
 
写真①みやした菓子舗

▲宮下菓子舗。創業100年を超える老舗だが、汽笛饅頭を考案したのは50年ほど前とのことだ。右手が店で、左の汽車車両のかたちをした建物が菓子造りの仕事場

 
 
写真②レジのあった場所

▲レジのあった場所。店に入ってすぐ左側。営業中はガラスケースに菓子が並べられ、その上がレジにしてあった

 
 
写真③まるで鉄道資料館

▲まるで鉄道資料館。店の正面から右へかけて、このように写真や資料がズラリ。これだけ集めるのだから熱意の程は半端でない

 
 
写真④写真の人は…

▲額入り写真の人は……。もうすでに察しがつくだろうが、この人が他ならぬ宮下良信さん。テレビの人気番組「ナニコレ珍百景」に2回登場したことがあって、そのときはわたしも観ていて、思わず拍手した