第250回 荒瀬ダム下流にて

前山 光則

 2月19日の朝、知り合いのA氏から「今日の午後、球磨川に行かんかい」と誘われた。聞けば、平成22年3月末に発電が停止され、水門がすべて開けられて55年間のダムとしての働きを終えた荒瀬ダム。24年9月1日から堰堤の撤去工事が始まったのだが、あれから3年余、ようやく水門の最後のP2門柱と呼ばれる部分が「午後2時35分に爆破されるとげな」とのことであった。そうと知ったら、なんでジッとしておられようか。
 午後1時半に八代駅前に集合、共通の友人H氏も加わって車で出発し、2時前には現地に着いた。すでに球磨川の右岸にも左岸にも関係者や報道陣、一般見物人が大勢いて、緊張感が漂っている。右岸の方へ回ってみると、堰堤から500メートルほど下った堤防上に顔見知りの人がだいぶんいた。堤防の上から河原が目に入った。あそこで写真が撮れないかな、とA氏やH氏に言ったら頷くので、木の枝や枯草を掴みながら堤防を這い下りて石ころだらけのところへ立つ。すると、そこら中に水の匂いがするのだった。目の前に早瀬。実によく澄んで、ダムが湛水していた頃とすれば段違いにみずみずしい。手をつけてみると、意外やぬるく感じられる。心の中で歓喜していた。数年前、宮崎県日向市の耳川で川漁師さんの後をついて渕に潜り、鮎や鰻を追いかけたことがあったが、嬉しくて愉しくてたまらなかった、あの時の気分に似ている。自分はこういうところが好きなのだな、と痛感せざるを得ない。いや、しかしウキウキしてはいられなかった。2時34分、「1分前」と拡声器が伝える。秒読みが始まった。連写で撮りたいが、その操作はどうするのだったか。咄嗟にはやりかたが思い出せず、だから「10秒前」のアナウンスが聞こえてからはとにかく次から次にシャッターを切った。そして、0秒。門柱が身震いしたように見えたと思ったら、ボンッと大きな音。発破が炸裂したのだ。門柱が一瞬浮いたような気がしたが、グラリと左に傾き、ゆっくり倒れた。寝床に横たわるかのようにして大人しく横になった。白い煙が濛々と立ちのぼり、広がった。
 堤防の上に戻ってから、A氏もH氏も「良う計算して火薬を仕掛けてあるようだ。技術屋さんが苦心したろう」と言った。二人が感心するとおりで、門柱は川の中には落ちなかった。堰堤の基礎部分、すでに爆破されて平らに均(なら)されたところへキッチリと横たわったかたちである。いくつかあった水門を最初に爆破する時はこううまくは倒れず、破片がひどく飛び散ったのだそうだが、今回はそうした点が克服されていたわけだ。
 このあと、7キロ先の瀬戸石ダムの方へも足を伸ばし、ダム湖内に堆積した土砂の状況も見てまわった。球磨川が本来の流れに戻るにはまだまだ課題が多いが、蘇りつつはある。それは確かに言えるのだろう、と思った。
 
 
 
写真①撤去工事がまだ始まっていない頃

▲撤去工事がまだ始まっていない頃。すでに発電はやっておらず、水門も常時開いた状態になっていた。堤高25メートル、堰堤の長さは210・8メートル。画面右下に見えるのは魚道。平成24年6月22日に左岸下流の河岸から撮影

 
 
写真②爆破直前

▲爆破直前。右岸下流側、河原からの眺めである。それまでわりと話し声も聞こえていたが、爆破時間が迫ってくるとシーンと静まってしまった

 
 
写真③爆破の瞬間

▲爆破の瞬間。気のせいだったか、少し門柱が身震いしたように見えた時には音はまだ聞こえなかったと思う。現場と撮影場所との間に距離があるから、音が遅れてくるのだろうか

 
 
写真④倒れゆく門柱

▲倒れゆく門柱。左手へすみやかに倒れた。ほんとに行儀良い倒れ方だった

 
 
写真⑤しばらく経ってからの眺め

▲暫く経ってからの眺め。右岸上流部の道路上から撮影。門柱がいかに行儀良く所定の場所に倒れたか、見下ろして確認することができた