第354回 夏バテしなかった

前山 光則

 この頃、昼間はまだわりと暑いが、朝晩はめっきり涼しくなり、ともすれば肌寒さを感じたりする。今、正直ほっとしている。
 この夏、まことに暑かった。太陽からグイグイと押さえつけられているかのような、有無を言わさぬ感じだった。去年も同様に酷暑が続いたのだが、今年ほどには酷さを感じなかったような気がする。7月下旬のある日など、炎天下の道ばたに立っていて腹立たしくなり、「いい加減にしろ!」と太陽に吠えたいほどであった。食欲が減退し、体がだるい、やる気がなくなって来そうだった。でも、しなくてはならないことが山積みだった。そんな状態で、暑さに負けていられるか。 
 そんなとき、ふと「甘酒を飲んでみよう!」と思いついた。いや、ほんとは鹿児島県奄美地方のミキを飲みたかったのだ。うるち米をお粥にし、そこへサツマイモのおろし汁を加えて寝かせると、甘酒のような飲み物ができる。夏場の飲料として冷やして売ってあるが、賞味期限を過ぎてしまうとアルコール分が発生するので、ミキは、口噛み酒でもなく、麹などカビを利用して作る酒でもなく、麦芽に含まれる酵素を利用して作る酒でもない。だから「第四の酒」と呼ぶ学者もいるくらいである。奄美地方では、夏バテ防止飲料として古くから親しまれている。しかし、それをわざわざ取り寄せるのも面倒で、ここは一つ近くの店に行って甘酒で間に合わせよう、と思ったのだった。
 そして、買って来て、冷蔵庫で冷やしておく。よく冷えたのをコップに注いで飲んでみたら、とても気持ちいい喉越しだ。暖めたのよりも、こっちの方が気分良い。なんだか、たったそれだけで体中に滋養が行き渡り、元気が湧いてくるような気分になれた。暑い戸外へ出ても苦にならなくなったので、まったく我ながら単純な人間である。
 だが、あとで知り合いに聞いたり文献を見てみたりしたら、どうも夏バテ防止に甘酒を飲むのはほんとに正解だったようだ。なんでも、米と米麹を使って造る甘酒にはビタミンやミネラルが豊富で、何種類もの必須アミノ酸が含まれている。だから、「飲む点滴」とか呼ばれることがあるそうだ。そうか、衝動的に甘酒で暑気払いをしようと思い立ったのだったが、やはりそれは正しい行ないであるわけか、と、内心ほくそ笑んだのであった。
 実は、まったく根拠なしに甘酒飲用を思い立ったのではない。焼酎とか甘酒が昔から俳句の世界では夏の季語として扱われているのを、知っていたからである。甘酒がなんとなく寒い時季の飲み物として扱われてしまう現在、ピンと来ない話であるかも知れない。だが、なんでも、江戸時代、真鍮の釜を据えた箱を担って、甘酒売りする人が夏場には見られたという。つまり、暑気払いの飲料としてひろく親しまれていた。

 甘酒の地獄もちかし箱根山                      
             與謝蕪村

 手許の『日本大歳時記』を覗いてみたら、與謝蕪村のこんな句が載っていた。「地獄」とあるのは、箱根の大涌谷あたりのことであろうか。夏、箱根に遊びに行った際に、茶店で甘酒を飲むのが愉しみだったのであろう。

 甘酒を煮つゝ雷聞ゆなり                       
             矢田挿雲

 この句に至ってはそんなに遠い昔の話ではない。作者は、大正時代から昭和にかけて活躍した大衆小説作家である。雷が轟くのだから、夏だろう。冷やすのでなく、この場合は温めて飲んでいる。実際、かつては夏場であっても熱してから飲用することは多かったようだ。でも、暑い時季の甘酒は、やっぱりよく冷えているのをキュッと呷るのが気持ちいいな、と、今回そう思った。ほんとに心底から活気が湧いてくる。
 ともあれ、今年の夏はバテなくて済んだ!
 
 
 
▲地元で売られている甘酒 地元で醸造された製品。近所では、なぜか郵便局で売られている。テーブルの上にかためて置いてあり、代金は備え付けの料金箱に入れることになっている。だから、委託販売なのだろうか。甘酒ばかり買いに行くので、「変なおじさん」とでも思われていはしないだろうか。