file78 七賢堂

市原猛志

旧吉田茂邸が火災を受けたのは、改修工事を控えていた2009(平成21)年のことであった。不審火によって邸宅そのものは全焼してしまい、現在公開されている施設はその後復元工事によって再建された建物である。しかしながら、同じ敷地内にあった七賢堂は無事であったということで、研究報告会の翌日に改めて拝観に訪れた。
七賢、という名前がついてはいるものの、竹林の七賢とは関係がなく、また儒教的な意味合いも持っていない。ここで顕彰されている七賢とは、当初は明治維新の元勲である岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の四賢で、もともと同じ大磯町にあった伊藤博文邸で祀られていたものを吉田茂が引き取り、伊藤博文と西園寺公望、さらに吉田の死後は当人自身も顕彰され、現在の名前になったという。第二次世界大戦の敗戦に伴って、明治時代の元勲の業績が語られないことを悲しんだのか、現存するこの堂は、明治時代から脈々と続く日本政治のバトンのようなものと思えてならない。

 
 

▲七賢堂は9月の吉田茂誕生日の時期に特別開帳される

 
  
 

▲扁額は佐藤栄作の揮毫によるもの

 
  
 

▲焼失を免れた兜門は1951年の竣工