連載コラム: 『本のある生活』 2013.07.16

第153回 教室での再会

前山 光則

 ひどく暑い毎日である。そんな中、今、ある公的な機関から現役の教師たちに経験談を語ってやってくれと依頼されたので、準備中である。定年退職してから5年、わたしの中では学校という場は遠いはるかな過去の風景となってしまっていた。でも、古い教務手帳(いわゆるエンマ帳)や生徒たちの作文やら何やらを引っ張り出しているうちに、よくしたもので色々のことが甦ってくる。思えば教師生活を36年間もやってきたのではある。
 Hさんのことが、なにより懐かしい。昭和47年に教員となって、最初の勤務校は熊本県立熊本商業高校定時制だった。1学期が始まって1ヶ月半ほど経った頃、中間考査が行われた。そういう時には日頃担当していないクラスにも試験監督に回される。それで、普通科3年1組の教室に初めて入って行ったのだった。生徒数30名ほどいて、みんな揃って礼をし、着席。さて試験用紙を配ろうと生徒の方を眺め渡して、目を見張った。4歳上のHさんが目をパチクリさせてこちらを見ている。信じられない、でもやはりHさんだ。
 小学校2年生の時、ふるさとの人吉東小学校の校庭で兄たち6年生が相撲に興じていた。まるで大人が闘っているかのような力強さがあって、見ていておもしろかった。そのうちに兄たちが、「お前も相撲とってみらんや」とすすめる。それで、やってみる気になったが、目の前にいたのが細身ながら長身のHさんだった。足を広げ、脇を固めて、いつでもかかって来いと構えている。当たり前に向かっていっても跳ね返されるのは目に見えていたから、目を瞑り、思いっきり頭突きした。すると、見事に鳩尾(みぞおち)に頭がぶつかり、Hさんはどうと倒れた。勝った! しかし、Hさんは目を回したまま動かない。しばらく大騒動になったのであった。
 試験が終わってから聞いてみると、Hさんはもともと病弱な体質だったそうだ。中学校に入ってからが最もひどく、いくつかの病気が重なり、療養の日々を過ごした。だから高校へも行けなかった。20歳を過ぎてからようやく熊本の方に出て来てある病院の事務の仕事に就くことができ、25歳で定時制に入学できた、というのであった。むちゃくちゃな相撲をしてから16年ほど経っての再会、それが定時制高校の教室の中で偶然にも実現したわけであった。じーんと胸が熱くなった。
 翌年にはHさんのクラスにも授業をしに行った。熱心に勉強する人であった。わたしは、その後、多良木高校水上分校での4年間だけが全日制勤務、あとは八代東高校でも人吉高校でも定時制に勤務した。わがままに定時制にこだわったわけだが、気持ちの上であの再会が少しは影響したかもしれない。ちなみにHさんは卒業後も病院事務の仕事を続けた。自分が体のことで苦労したから、病人の世話ができるところにずっと身を置いたのだ。

▲内大臣峡。あんまり暑いので、近所の人が山都町の山中へ涼みに連れていってくれた。さわやかな山気が満ちて、仏法僧や鶯が鳴いていた。ここには、熊本商業高校定時制のバス遠足で来たこともある
こんなのもアリマス

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