連載コラム: 『本のある生活』 2013.10.30

第165回 秩父にて

前山 光則

 今度2週間ほどあちこち旅してきたが、その中で10月13日は埼玉県の秩父市内を歩いた。若山牧水の歌碑を見てみたかったのだった。秩父鉄道の秩父駅で下りて、お菓子屋さんで栃餅を1個だけ買って店のおばちゃんに道を訊ねてみたら、「羊山公園にあるよ。そこの秩父神社の前から左に折れて行けば、丘が見えるから」と教えてくれた。説明を聞きながら栃餅をパクついたら、これがえらくおいしい。帰りがけに1箱買おうと思った。
 秩父神社に参拝した後、教わったとおりに道を辿り、羊山公園への坂を登る。汗かきながら頑張り、20分ほどで頂上に着くと、「武甲山資料館」と称する平屋建ての建物が目に入った。興味が湧いて中へ入ってみたが、武甲山(1304メートル)は地元の人々から「神さまのこもる山」と崇められていたのだという。ところが、山の北側斜面が石灰岩質であるため、明治時代に採掘が始まった。昭和15年からは特に大規模に掘られるようになったため、山の高さが昔よりも32メートル低くなってしまった。神は冒涜されたわけだ。近年になって関係者の間で反省の念が強く生じ、削られた山肌を緑化する取り組みがなされるし、資料館も造られたのだそうだ。
 資料館の女性職員はわたしを外へ連れて行って、「あそこですよ」、南南東の方角を指差した。なんと、眼前に太々と山が聳えているではないか。登って来るときにも見えたはずだが、坂を登るのに懸命でまわりに目をやる余裕がなかった。そうか、これが武甲山。確かに、頭が斜めに削がれた恰好で痛ましい。牧水は大正9年に秩父を訪れた際にこの山にも登っているが、その折りの短歌や紀行文「渓より渓へ」を見ても石灰岩採掘には触れていない。当時は採掘もまだ小規模で、人目を引くほどのものではなかったのだろうか。
 牧水歌碑は、資料館よりもさらに10分ほど行ったところの斜面にあった。大正9年春に詠んだ「秩父町出はづれ来れば機織(はたおり)の唄ごゑつづく古りし家並(やなみ)に」という唄が刻まれている。そこからは、秩父の盆地を右や左とひろく眺め渡すことができて、実に気持ちが良い。古びた家並みの中から機織りの人たちの歌声が聞こえたというが、どのような唄だったろう。歌碑から下りて行ったところに「ちちぶ銘仙館」があったから、機織りしている女の人に訊ねてみたが、「あれは、機の音が唄のように聞こえただけじゃないかしら」とのこと。受付の男の人にも聞いてみたところ、「昔は機織りする時の唄があったんだろうね。しかし、私は知らないなあ」と、わりと無関心であった。
 武甲山は町のどこからも眺められた。てっぺんが痛々しいけど、どっしりした姿の山だな、と感心した。しかし山に気を取られて、栃餅を土産に買うのは忘れてしまった。帰りの電車の中で気づいたが、残念、無念。
 
 

▲若山牧水歌碑。右側の石に牧水の歌が刻まれている。昭和31年、秩父市織物組合前に建立され、後に現在の羊山中腹に移されたのだという

▲羊山からの眺め。盆地の中に、ぎっしりと人家が詰まった感じ。秩父市は、人口約6万7000人だそうである

▲荒川。秩父は荒川の上流部にあたる。駅前から20分ほど歩けば、川へ出る。澄み切った流れであった

▲武甲山(ぶこうさん)。東京へ戻るときは西武秩父駅から電車に乗ったが、これはそのホームからの眺め。実に間近かに山があった。
こんなのもアリマス

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