連載コラム: 『本のある生活』 2019.02.08

第343回 石牟礼道子の俳句

前山 光則

 前回、種田山頭火が短歌も作っていることについて触れた。俳句を詠む時にはあんなにも自在な自由律を追求したにもかかわらず、短歌は定型から一歩も出なかったのである。
 その後、石牟礼道子さんのことが思い浮かんだ。いや、山頭火と石牟礼文学との間にはとりたてて共通項もない。しかし、なぜかしら、ひょいと頭に浮かんだわけである。
 言うまでもないことながら、石牟礼さんも、短歌を詠む際には定型であった。
 
 
 ひとりごと数なき紙にいひあまりまたとぢるらむ白き手帖を
 この秋にいよよ死ぬべしと思ふとき十九の命いとしくてならぬ
 おどおどと物いはぬ人達が目を離さぬ自殺未遂のわたしを囲んで
 
 
 これらの作などは石牟礼さんのまだ青春時代の詠である。山頭火が短歌というジャンルに単なる「余技」としてしか関わらなかったのに対して、短歌は必死の表現方法であった。それは『歌集 海と空のあいだに』(葦書房)のあとがきにも明白に表明されている。
 
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 表現の方法もわからないまま、それなりに七五調にたどりつこうとしているのは、日常語で表現するには、日々の実質があまりに生々しかったからではないか。日記を書かず、歌の形にしていたのは、ただただ日常を脱却したいばかりだったと思われる。
 
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 日常の生々しさから一歩距離を置き、捉えなおそうとする時、五七五七七の定型と文語使用は頼りがいある手立てとなっていた。このように、作者にとって定型短歌は必要不可欠のものだったわけである。
 
 
 狂へばかの祖母の如くに縁先よりけり落さるるならむかわれも
 ばばさまと呼べばけげんの面ざしを寄せ来たまへり雪の中より
 雪の辻ふけてぼうぼうともりくる老婆とわれといれかはるなり
 
 
 これなどは、祖母と「われ」との間に何のへだたりもないということが表明されている。祖母の狂いをわがこととして受け止め、一緒に悶えようとするひたむきさが読者の心を撃つ。いつぞやも書いたことがあるが、『苦海浄土』で水銀禍に苦しむ患者さんたちの世界と共に悶えている、そのことと共通する。
 こういうふうで、石牟礼さんにとって短歌は、少なくとも若い頃は必須の表現手段であった。しかもそれは、五七五七七の定型がしっかり踏まえられている。
 だが、さて俳句は、どうか。
 
 
 死におくれ死におくれして彼岸花
 祈るべき天とおもえど天の病む
 まだ来ぬ雪や ひとり情死行
 鬼女ひとりいて後むき 彼岸花
 人間になりそこね 神も朝帰る
 天のはたてを舟ゆくすすき久重原(くじゅうばる)
 さくらさくらわが不知火はひかり凪
 
 
 昭和61年(1986)に天籟俳句会から刊行された句集『天』から引いてみたが、一応五七五定型が踏まえられている。ただ、3句目・5句目・7句目などは崩してあり、「自由律」とまで言えなくともかなり大胆な「破調」の俳句である。季語を用いていない句もあって、石牟礼さんは短歌を詠むときと比べたらずいぶんと形式に縛られずに自在に詠んでいることが分かる。そしてまた、その自在さは平成27年(2015)刊行の『石牟礼道子全句集 泣きなが原』(藤原書店)を見てみても変わりがない。全句集だから句集『天』の分も入っているが、さらに以後の作品もたくさん収録されており、
 
 
 原郷またまぼろしならむ祭り笛
 お蚕(こ)たちの雨乞い今も湖底(うなぞこ)にて
 卵焼き匂わせ亡弟(ぼうてい)がくる嵐
 ポケットに含羞を入れ逝きしかな
 来世にて会はむ君かも花御飯(まんま)
 月影や水底の墓見えざりき
 おもかげや泣きなが原の夕茜
 向きあえば仏もわれもひとりかな
 毒死列島身悶えしつつ野辺の花
 この春をまた遺書よりも生きのびし
 生まれそこないの言葉足蹴りして遊ぶ
 どこやらに目っかちの神いて樹々おどる
 猫のいびき聞きながら桃の花まつり
 桃の香やいづれの世にぞ目ざめける
 思いはてなくねむりしや霏々(ひひ)と春の雪
 わらんべの神々うたう水の声
 
 
 いちいち挙げなくても、大胆な崩し方をしてある句はすぐに見てとれるだろう。
 この人は俳句の詠み手としても秀抜だな、と慨嘆するしかない。イメージの豊饒さ精神の在りようの特異さは他の追随を許さないわけで、正直、山頭火よりも石牟礼道子さんの方が凄い。「おもかげや泣きなが原の夕茜」「毒死列島身悶えしつつ野辺の花」「生まれそこないの言葉足蹴りして遊ぶ」などは特にそう思う。
 それにしても、石牟礼さんも短歌では定型を一歩も出ぬのに、俳句ではワクにはまらずに崩している。山頭火も、石牟礼さんも、俳句って何だったのだろう?
 
 
 

▲菜の花。暦の上で春になったが、まだ春らしくはない。しかし、菜の花は意外と色んなところで見かける

 
 
 

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