連載コラム: 『本のある生活』 2019.05.28

第349回 梅酒を仕込んでみようかな

前山 光則

 高村光太郎の詩集『智恵子抄』の中に、「梅酒」と題された作品がある。最近、読み直してみた。

   梅酒

 死んだ智恵子が造つておいた瓶(びん)の梅酒(うめしゅ)は
 十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
 いま琥珀の杯に凝(こ)って玉のやうだ。
 ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
 これをあがってくださいと、
 おのれの死後に遺(のこ)していつた人を思ふ。
 おのれのあたまの壊れる不安に脅(おびや)かされ、
 もうぢき駄目になると思ふ悲に
 智恵子は身のまはりの始末をした。
 七年の狂気は死んで終つた。
 厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
 わたしはしづかにしづかに味はふ。
 狂瀾怒濤(きやうらんどたう)の世界の叫も
 この一瞬を犯(おか)しがたい。
 あはれな一個の生命を正視する時、
 世界はただこれを遠巻きにする。
 夜風も絶えた。

 光太郎の詩は難解なことばがほとんど使われておらぬので分かりやすいから、若い頃、親しんだ。平易でありつつ、しかも深いものを湛えているのだ。
 ところで、それはそれとして、この詩で扱われている梅酒は亡くなった妻・智恵子が造っておいたものなのだそうであり、「十年の重みにどんより澱(よど)んで」いる。自分が死んだ後、あなた、飲んでくださいね、と智恵子さんは光太郎に言ったのであったろう。優しい心遣いである。ただ、果実酒の味わいはせいぜい5年ほどまでが限界で、あとはきわめて気の抜けたビールと同じである、劣化するだけだ、と、以前、通の人から教えられたことがある。だからこの詩に出てくる梅酒は、残念ながら智恵子さんの愛情は籠もっていてもたいして良い味のものではないはずだ、と思い込んできた。だが、最近になって、どうもそれは違う、梅酒も寝かせておけばおくほど芳醇な味わいになってゆくのではないか、と思えるようになった。
 それというのも、一週間ほど前、わが家に少しだけ遺されていた梅酒をたまたま立ち寄った近所の人に飲ませてみたところ、えらく気に入ってくれたからである。あんまり喜ぶから、瓶に残った梅酒はペットボトルに入れて持たせてやった。
 このわが家の梅酒は、仕込んだのが2005年(平成17)6月8日、つまり14年前に漬け込んだ梅酒なのである。原料の梅は大分県大山町(現在、日田市大山町)産の大粒のもの2キログラムである。使った焼酎は、熊本県人吉市の寿福酒造で醸造された35度の米焼酎(いわゆる球磨焼酎)「武者返し」2升。氷砂糖は、2キログラム用いた。ガラスの大瓶にちょっぴり残っていたが、もうてっきり劣化してしまったものと見なして、なんなら棄てても構わない、しかしなんだかもったいない、何か料理にでも使えたら良いかも知れないとの思いで今までしまい込んでおいた。近所の人が立ち寄ってくれたけど、ちょうどもてなすための酒が切れていたから仕方なしにグラスに古梅酒を注ぎ、氷を浮かせて差し出してみたら、
「いや、これはうまいね!」
 意外なことに喜んでくれた、という次第であった。それで、「果実酒の味わいはせいぜい5年ほどまでが限界」とのわたしの思い込みに訂正を迫られた恰好だ。
 考えてみたのだが、あの時使った焼酎はさきほど記したとおり「武者返し」である。これは昔ながらの常圧蒸留によって造られている。現代の主流になってしまっている減圧蒸留による焼酎は、あれは蒸留器の中の沸点が極度に低くなるのでアルコールがたやすく採れるし、蒸留した後すぐに呑める。その代わり、味わいに奥ゆかしさがなく、しかも瓶詰めした後2、3年で劣化してしまう。ところが「武者返し」のような常圧式の蒸留で採れた焼酎は沸点が100度で、原料の複雑な成分もアルコールと一緒に混じって蒸留されるため焼酎として精製するのに時間がかかる。しかし、それだけにまた原料の味わいが生かされたコクのある焼酎となるし、瓶詰めした後、寝かせれば寝かせるだけ熟成していく。わが家の14年物の梅酒は、その常圧式蒸留による「武者返し」35度を用いて仕込んであったから、年を経ると共に劣化どころか豊かな味わいとなって行ったのではなかったろうか。うん、きっとそうとしか考えられないなあ、と思ったのであった。
 だから、『智恵子抄』中の詩「梅酒」に出てくる「十年の重みにどんより澱(よど)んで」いる古梅酒も、どのような焼酎が使われたのかさっぱり分からないが、絶対にバカにしてはいけない。少なくともあの時代にはホワイトリカーはあっても減圧式蒸留の焼酎はまだない。きっと本当に美味であったのではなかろうか。
 ――と、そのようなことを考えているうち、久しぶりに梅酒を漬け込んでみたくなった。そして、来客にふるまえるように備えておこうかな、という気分である。
 梅酒の造り方については、自信がある。20年以上も前に友人と一緒に球磨郡多良木町の木下醸造場に習いに行ったことがあるのだ。そこは「文蔵」といううまい球磨焼酎を造るし、また梅酒もおいしい。それまで自分で造る梅酒がどうしても苦みが生じるので、不思議でしかたがなかった。それで、友人と共に押しかけて、教えを乞うたのであった。
 そして教えてもらったのは、まず梅は早い内に買い込んではいけない。まだ梅の実が若い内は種が柔らかいので、そういうのを漬け込んだら種の苦みが染み出てしまうから酒がまずくなる。原料の梅は、6月に入ってしばらくして店に出ているのを買えば、もう種も固くなっているから大丈夫であろう。とにかく急いで仕入れるといけない。ははあ、そうですか、と呑み込めた。自分はいつも5月中に急いで早採りの梅を買い込み、漬け込んでいたので、苦くなってしまっていたのだった。
 それから、梅・焼酎・氷砂糖の量はオール1ということでするのが良い。つまり、梅1キログラムを使う場合、焼酎は1升。25度の焼酎でも35度でも良い。強いていえば度数の高い方が長持ちするかも知れない。無論ホワイトリカー(焼酎甲類)でも構わないが、味わいはどうしても落ちる。やはり本格焼酎(焼酎乙類)を使うと、うまい。そして、氷砂糖は1キログラム。この要領だから、もし梅を2キログラム使うのであれば焼酎は2升、氷砂糖は2キログラムということとなる。
 さて、今、梅はもう町なかの店に出始めている。だが、梅酒にするにはまだまだ早い。6月に入り、頃合いを見て梅・焼酎・氷砂糖を買いこみ、仕込んでみようかな、と思っている。わたし自身は、もうアルコール類をたしなまなくなって5年経つ。だから、自分用でなくもっぱら人に喜んでもらうために仕込んでみるのである。こうした愉しみもあって良かろう。
 高村光太郎の詩「梅酒」を読んで、そうした気持ちになったのであった。
 
 
 

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