前山光則
この頃は鉄道を利用する機会が少ないなあ、と思う。常々、車を運転するからである。だが、最近藤澤志穂子著『駅メロものがたり』という本を読んで、久しぶりに鉄道への関心をそそられた。
この本の最初に、駅メロというものは「日本独自のものらしい」とある。外国では、「列車の発着はベルの告知もなく、すっと走り出す」と書かれているのだ。著者は言う。
「日本人観光客が、うっかり駅で買い物に夢中にでもなっていたら、気付かないうちに置いてきぼりにされてしまうのだ」
そうそう、ほんと、そうだったよなあ、と、改めて気づかされた。
旅の記憶が蘇ったわけである。もうずいぶん以前にイギリスへ行ってみた時、確かにどこの駅でも列車はベルも鳴らず、「すっと」来て、「すっと」走り出していた。人が大勢居てガヤガヤと賑やかなロンドンではそういうことを別に何とも思わなかったが、しかし田舎の方に足を伸ばしてからが違った。ハイランド地方の山奥ピトロクリーという駅では、プラットフォームに立っていて、駅員以外は女房とわたしの二人だけであった。そのような閑散とした駅において、「列車の発着はベルの告知もなく、すっと走り出す」のだった。なんだか拍子抜けするというか、淋しいほどだったよなあ、と、懐かしくなったくらいである。
そのように、外国では聴かれない、日本特有の「駅メロ」。日本国内のどの駅でも聴けるというわけではないものの、確かに今まであちこちで耳にしたことがあり、情緒があって、たいへん良い習慣ではないだろうか。
この『駅メロものがたり』では、JR仙台駅の「青葉城恋唄」から始まってJR豊後竹田駅「荒城の月」、JR呉駅「宇宙戦艦ヤマト」、秋田内陸線米内沢駅「浜辺の歌」、JR、京急電鉄川崎駅「上を向いて歩こう」、JR桃谷駅「酒と泪と男と女」、JR福島駅「栄冠は君に輝く」、JR津久見駅「なごり雪」、JR大館駅「ハチ公物語」、西武池袋線大泉学園駅「銀河鉄道999」等々、20曲余の駅メロにまつわる話が物語られており、楽しく読める一冊である。駅メロはまだまだ他にも全国にわたって聴くことができるのだそうだから、そそられる。
個人的に一番興味深く読んだのは、JR豊後竹田駅で流れる「荒城の月」(作詞・土井晩翠、作曲・滝廉太郎)である。
春 高楼の 花の宴
めぐる盃 かげさして
千代の松が枝(え) わけ出でし
むかしの光 いまいづこ
竹田は好きな町であり、何度も行ってみたことがあるし、駅で実際に「荒城の月」が流れるのを親しみをもって聴いた覚えがある。駅でこれを聴いていると、竹田市郊外にある竹田城が自ずから頭に浮かんで来て、あの山城はほんとに良いたたずまいだ。城の本丸まで登るのはしんどいけど、辿り着くと嬉しくなってしまう。下から眺め上げるのも飽きの来ない姿だし、頂上からの広びろとした眺望はまた最高だな、と思う。
「荒城の月」は、昭和26年(1951)5月から豊後竹田駅で流されているのだそうだ。つまり、まだ竹田市が「竹田町」だった頃からの駅メロなのだそうである。この歌を作詞したのは土井晩翠で、この人は東北の仙台出身である。だから、「荒城」の原イメージとしては「青葉城」すなわち仙台城があっただろうか。しかし、作曲をしたのが竹田で少年時代を過ごした滝廉太郎であり、この岡城址を想いながら曲を付けたのだという。そして、著者によれば「日本最古の駅のメロディ」だそうである。
繰り返すが、あのJR竹田駅のホームに立って「荒城の月」を耳にした時の気持ちよさは、今、ほんとに懐かしく思い出される。この町には岡城址がある、という思いが改めてしみじみと湧き上がってくるのである。観光客へのおもてなしとして、たいへん気の利いたやりかたではないだろうか。少なくともわたしはそう思う。
同じく九州内の駅では、JR杵築駅で流れるという「おかえりの唄」(作詞・星野哲郞、作曲・南こうせつ)、これにまつわる話もおもしろかった。
この町は 小さいけれど
「おかえり」の唄が 生まれる町
あの川のそば あの屋根の下
今日もきこえる おかえりの唄
おかえり おかえり
やさしい声に 包(くる)まれて
元気になった 人たちの
心が未来(あした)へ はずむ町だよ
これは、南こうせつがデビュー50周年記念で平成31年(2019)に発売したアルバムに収録されたものであり、「新曲」だ。ただ、そうはいうものの、実は昭和50年代に作詞家の星野哲郞が南こうせつに贈ったのだったが、そのまま「お蔵入り」してしまっていたものなのだそうだ。それを、50年あまり経ってから南こうせつが自宅の荷物を整理していたところ、なんと、歌詞がひょっこり出てきた。南こうせつは「今の自分だからこそ歌いたい」という気持ちになり、曲をつけたことから日の目を見たという、そのような経緯を持つ「新曲」だそうだ。
大阪市天王寺区、JR桃谷駅の駅メロがまた格別の味わいだ。河島英五の「酒と泪と男と女」(作詞作曲・河島英五)、これが駅に流れるのだという。
忘れてしまいたい事や
どうしようもない寂しさに
包まれた時に男は
酒を飲むのでしょう
飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで
飲んで 飲みつぶれて眠るまで 飲んで
やがて男は 静かに眠るのでしょう
河島英五は、大阪府東大阪市で町工場を営む家に生まれたのだそうだが、名曲「酒と泪と男と女」はこの人がメジャーデビューして間もない昭和50年(1975)に発表されている。そしてこの当時、河島は桃谷駅の近くでライブハウスを経営していたのだという。JR西日本は平成27年(2015)3月から各駅で発車メロディを導入したのだそうだが、JR桃谷駅の場合はそのような流れの中で河島の曲が採用されている由である。
これはもう名曲というほかないが、しかしまあ、「飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで……」である。桃谷駅に乗り降りする人は、無意識のうちに飲酒欲がそそられてしまうかも知れない。
読んでいて、自分の住んでいる町はどうだろうか、と気になった。しかし、JR八代駅とかおれんじ鉄道日奈久駅あるいは新幹線の新八代駅とかあるのだが、駅メロが流れたことはない。親しい友人S氏と、電話で、
「八代でも駅に着メロが流れたら、風情があるだろうね」
「そうだな。そしたら、やはり八代亜紀の歌だろうかねえ」
「いや、それはもちろん、他には考えられんばい」
「そしたら、『なみだ恋』だろうか。あるいは、『舟唄』ちゅうのも良いなあ」
とS氏が言う。
「それから、『雨の慕情』ちゅうのもあるからねえ」
とわたしが言ったら、
「うむ、しかし、『雨あめ降れ降れ、もっと降れ』だからな、雨が降りすぎたらイカンよ」
そんなやりとりをしたのであった。
わたしのふるさとでは確か駅メロがあったはずだ、と思って、人吉市在住の友人・K氏に電話してみた。
「うん、確かにあったですねえ」
という頼もしい返事であった。
「曲名は、何だったかな」
「犬童球渓の、確か、『故郷の廃家』ではなかったですかねえ」
「なるほど。『旅愁』ではなかったわけだ」
「いやいや、ぼくもはっきりとは覚えておらんのですが」
幾年ふるさと 来てみれば
咲く花鳴く鳥 そよぐ風
門辺の小川の ささやきも
慣れにし昔に 変わらねど
荒れたる我が家に
住む人絶えて無く
これは「故郷の廃家」であるが、作曲者は、ウイリアムス・ヘイズ。「旅愁」という曲の方はジョン・P・オードウェイ作曲である。共にアメリカの音楽家によって作られた曲なのだが、詞をつけたのが人吉出身の音楽家・犬童球渓であった。球渓は若い頃に新潟の女学校で教鞭を執った時期があるが、2曲ともその頃、26歳で作詞しているのである。
「いやあ、どっちの曲だったかねえ」
わたしとしても、人吉駅に流れていた駅メロについて、はっきり覚えていないのであった。駅に電話を入れて確かめればすぐにハッキリするのではある。しかし、そうではあるものの、自分としてはむしろそのあやふやさというか、曖昧さを楽しみたいので、まだ人吉駅には問い合わせをしていない。
ちなみに、八代・人吉・吉松間の肥薩線は、令和2年(2020)の大水害によって寸断されたままである。そう、復旧作業すらまだ始まっていない。だから、当然駅メロも流れぬままとなっているわけで、残念なことだ。