前山 光則
梅雨だから当然のことであるが、よく降る。雨が降ると好きな散歩ができないが、でもくさることもなかろう。読書をすればいいのだ。
この頃、時々井伏鱒二を読む。ある読書会の講師を月に一回務めているのだが、現在テキストにしているのが井伏鱒二の短編集『夜ふけと梅の花』である。それで、せっかくだから他の作品や関連する資料等にも目を通してみているわけだ。昨日は萩原得司著『井伏鱒二聞き書き』を開いてみた。題名の通り作家本人の喋ったことが収録され、著者のコメントや解説も付されて、おもしろい本である。
井伏鱒二は、談話の中で、江戸時代の勤皇の思想家・高山彦九郎について「なんのために、あんなにスタスタ歩いているのか、わからない」と論評している。「とにかく、なんであんなに歩いていたのかも、なぜ死んだのかも解らないんだ。死ぬ前には金はなかったらしく、友人を頼っていったら留守だったということだ」と、これは本当に分からないふうである。彦九郎はあちこちを旅しながらまめに日記をつけている。わたしなどはその一部分、九州の肥後・日向・薩摩あたりでの記述を読んだに過ぎないが、日々の道程や雑事は詳細に読み取れるのに、彦九郎の感想や考えがうまく掴めない。これは、人に読まれでもした場合に自身の思想信条が露呈するのを畏れたか、いや単に好んで事実を書いただけなのかな、と、詮索していたのだった。それが、井伏鱒二のような文学のみならず歴史にも詳しい人があっさり「わからない」と評する。そうか、無理になにか解釈しようとする必要はないわけで、結局わたしも彦九郎のことが「わからない」だけである。それでいいのだな、と、変に安心した。
彦九郎の和歌についてたいへん厳しく貶(けな)しているのは、意外であった。
「彦九郎の歌は実に下手だね。むやみにすぐ人に書いてやるんだが、それが恥ずかしいくらい拙い……。人にやることに誇りを感じていたんだろうが、貰った人が困っただろう。勉強しようというつもりもないのね。江戸で一番下手なのが彦九郎の歌だ」
と、ケチョンケチョンだが、そうかなあ。この連載コラム第33回で触れたように、熊本県球磨村神瀬(こうのせ)の神官宅に泊めてもらった時には挨拶代わりに「千早ふる神の社(やしろ)やいさぎよき流れに望みくむぞ楽しも」と詠む。さらにそこの神官が72歳だと知って「七十に二(ふたつ)あまると木綿葉川そのみなかみに幾代(いくよ)すむらむ」とほめ言葉を贈る。木綿葉(ゆうば)川は球磨川の別名だが、それを使って味のある詠み方だ。相手への思いやりや人柄の誠実さが感じられ、好感を持って読めるので、井伏説にはちょっと納得できないなあ。
井伏鱒二に同感したり、首をかしげたりして、雨の一日、退屈しなかった。