第113回 房総半島へ

前山 光則

 今度の旅では一人で房総半島へも行った。
 9月3日午前7時35分、東京駅前からバスに乗り、揺られ揺られて安房鴨川駅前に到着したのが9時30分過ぎ。やがて駅前に荷台に大きな箱?を載せたトラックが停まり、中から作家で民俗作者、竹細工師でもある稲垣尚友氏が現れた。この方とは初対面だったが、なぜか見てすぐに分かったのであった。気さくな顔が民俗学者の宮本常一に似ている。初対面の挨拶を交わした後、車に乗せてもらう。20分ほどで人家もまばらな村里へ着いた。 
 自ら淹れてくださったコーヒーがとてもおいしい。「一番安い豆だけど、山の湧き水を使っているんですよ」と稲垣氏。良い水に恵まれて何よりのことだ。それと、御自宅は木造2階建てだが、「木材やら何やら譲ってもらったりして、自分で造りました」と言われるのには恐れ入った。わたしを運んでくれたトラックも「あれは友人がくれた車です」とのことで、飄々と金のかからない生活をやっていらっしゃる。竹製品は「あまりないんですよ」とのことだったが、いくつかあった。ていねいな造りの、使うのがもったいなくなるようなかたち、手触りである。
 稲垣氏のことは、昭和53年、雑誌「あるくみるきく」に載った「籠作り入門記」で知った。氏は熊本県球磨郡錦町の竹本一之という人のところで竹細工の修行をしたのである。師匠と弟子で籠を作り、それをバイクの荷台に積んで付近の村へ売りに行く、そんな地味な世界がレポートされていた。人吉盆地内にまだ竹細工で飯を食う人がいるということも意外だったし、まして新たに弟子入りする人がいた。さらにまた当時の稲垣氏の住所が鹿児島県のトカラ列島にあり、そこから竹細工の修行にやってきたということにも驚いた。以来、稲垣氏の著書をいろいろ読んだ。『密林のなかの書斎——琉球弧北端の島の日常』は新聞に書評を書いたことがあるし、昨年刊行された『灘渡る古層の響き——平島放送記録を読む』は抱腹絶倒、活き活きと南島の生活を捉えた快著である。
 南島に永らく住んでいた作家が、今こうして房総半島の山里に居着いている。初めてお会いできて、嬉しいというか、不思議な気持ちだった。語らっていると、近所の人が野菜を持ってきて「よう、食うてくれ」と、ドカッと縁側へ置いた。ここ房総の村里の中でしっかりと人間関係もできているのだな、と感心した。そして昼飯までも御馳走になってしまった。午後3時頃、もう帰らねばと立ち上がったら、どこからだろう、かなかなの声が聴こえてきた。ほんとに静かな村里である。
 稲垣尚友氏は、わたしが訪ねた翌々日から旅に出た。愛用のワンボックスカーを運転し、車の中に寝泊まりしながら各地で竹細工を作ったり修理してやったり、あるいはまた若い竹細工職人さんたちとの交流もするのだという。さて、今頃、どのあたりだろう?

▲稲垣氏宅。これは全景ではなく、右の方に竹細工のための仕事場がもう一棟ある。すべて手作りなのだそうだ

▲稲垣氏製作の籠。ていねいに編まれており、一つ作るのにずいぶんな時間と手間が要るのだろう

▲居間からの眺め。こういうのが「借景」なのだろう。眺めていると、時間が止まってしまうような感じだ。まだ日も高かったが、どこかでかなかなが鳴くのであった

▲稲垣氏の自家用車。この車に竹細工の道具や炊事用品等を積んで、旅をつづけるつもり、とのこと。稲垣氏は、今、何歳かなあ? 元気である