第209回 神在月の出雲大社にて

前山 光則

 12月7、8日、福岡の親しい友人たちに誘われて島根・鳥取方面へと出かけた。
 7日の朝早く4人で博多駅を出発し、新山口で乗り換えて山口線・山陰本線と辿る。途中、島根県の津和野あたりの山間部は雪がさかんに降り積もっていた。昼過ぎに出雲市駅に着いた。雪はなかったものの、寒さが肌身にしみる。松江市に住む人でかねてから敬愛しているK氏が駅に迎えに来てくださっていて、氏の運転で出雲大社へ行くこととなった。
 参拝する前に昼食をとったが、参道沿いの蕎麦屋の前でしばらく待たされた。S氏が「ぜんざいも食べたいなあ」と言った。「蕎麦とぜんざいかね」「合うのかなあ」「どうかねえ」などと言い合いながら順番を待った。とにかく若い人たちで溢れていた。出雲大社は昔から縁結びの神さまだ。まして今年10月に高円宮典子さんとここの禰宜・千家国麿氏が結婚したとあってはパワースポットとして人気が急上昇するのは当然である。折しも、よその地域は神無月だが、出雲は逆に神さまたちが集うので神在月(かみありづき)である。出雲神社では「神在祭」の最中だった。神社も門前町も活気に満ちていたのだった。
 むろん、神社境内も参拝者が多かった。大きな鳥居を抜けて、拝殿へ進む。外国人で初めてここの本殿に入らせてもらえたのはラフカディオハーンこと小泉八雲だが、「杵築――日本最古の神社」の中で「境内の中から、すでに潮騒のような重々しい響きが聞こえている」と書いている。杵築大社とはこの神社の古名である。明治23年の秋、この神社では人々が柏手を打つとき潮騒のようにあたりに響いたのである。普通、神社での拝礼作法は二礼一拍手一礼だが、ここ出雲では二礼四拍手一礼、つまり柏手の回数が多い。これが参拝者の多さとあいまってまるで潮騒のごとき響きとなったのだろうか。わたしたちの場合、そこまでの凄さは感じなかったものの、拝殿の前ではちゃんと帽子も脱がなくてはならぬ。荘厳な雰囲気は充分に味わった。
 ぜんざいについてだが、わたしなどはS氏を「大の男が、酒よりも甘いものが好きだとはなあ」と冷やかしてやった。しかし、である。出雲地方はどうもぜんざい発祥の地であるらしい、と後で知らされた。これは昔、一休さんがこの甘い汁物を食して「善哉(ぜんざい)じゃ」、善き哉と褒めたことからついた名だ、と思いこんでいたのである。しかし、どうも当地方では出雲大社の神在祭でふるまわれる「神在餅」が由来であると言われているらしいのだ。「神在」を音読すれば「じんざい」で、これが訛って「ぜんざい」となった、というわけである。とすれば、ぜんざいは神事にまつわる由緒正しい食べものである。参拝した後にでもおやつに味わえばよかったのだなあ、と悔やんだことであった。
 Sさん、冷やかしたりしてゴメンナサイ!
 
 
 
写真①出雲蕎麦

▲名物、出雲蕎麦。右は釜揚げにしてある蕎麦。左のは重ね蕎麦。冷たい重ねの方がシコシコ感があっておいしかった

写真②大鳥居

▲大鳥居。二の鳥居だそうで、勢溜(せいだまり)の大鳥居とも呼ばれているようだ。一の鳥居は神門通りのもっと下の方、宇迦橋の際にそびえている

写真③祓社

▲祓社(はらえのやしろ)。二の鳥居を過ぎて間もなくの右手にある。ここにお詣りして心身の汚れをはらい清めてもらい、その後でいよいよ拝殿へと進むのが正式な参拝作法だそうだ。わたしたちはそのことを後で知った!

写真④拝殿

▲拝殿。昭和34年に総ヒノキ造りで再建されたのだという。本殿はこの裏手にある