◆太平洋戦争終結後、トカラ列島(鹿児島県十島村)を含む北緯三十度以南の島々は日本から切り離され、米軍の軍政がしかれた。国境の島となったトカラの人々は、生きるためにさまざまな開拓を実行、さらに物資調達のための密航船まで仕立てて暮らしを立ててゆかねばならなかった。
◆当時、活路を見出そうとしていた島民・移住民たち(復員兵、引揚げ者、元鉱夫、素潜り漁師、市電の元車掌、大工……)の世話役(区長、村議)として、したたかに生き抜いた帰還兵・半田正夫氏の真実の声が語る知られざる戦後史‼
【書評等掲載情報】
熊本日日新聞2021年6月13日(日)付 前山光則・作家
日経新聞2021年10月28日(木)付 取材記事
序 「ミッコウ」時代の幕開け
北緯三十度線が国境となる
Ⅰ 復員、そして占領下の与論島へ
アメリカから呼出しがきた
Ⅱ 密貿易で生きる
ジェットエンジンもズロースも密輸品のうち
Ⅲ 開拓行政
軍会に活かされた笹森儀助案
開拓農協以前
お前ならできる、大工をやらんか
復帰直後
海運業の誕生
日之出合衆国
地下足袋を履いた分校主任
稲垣 尚友
1942年生まれ。トカラ諸島(臥蛇島、平島)での暮らしをへて、現在、竹細工職人。著書に『密林のなかの書斎――琉球弧北端の島の日常』『十七年目のトカラ』(以上、梟社)、『山羊と焼酎』『悲しきトカラ』(以上、未來社)、『青春彷徨』(福音館)、『日琉境界の島 臥蛇島の手当金制度』(CD版本 NJS出版)、『灘渡る古層の響き――平島放送速記録を読む』(みずのわ出版)、『臥蛇島金銭入出帳』(ボン工房)、『戦場の漂流者・千二百分の一の二等兵』『占領下のトカラ――北緯三十度以南で生きる』(以上、弦書房)などがある。
戦場の漂流者 千二百分の一の二等兵 |