愛用してきた帽子がなくなってしまったので、困った。なんだか落ち着かなくなった。
それは、9月下旬のことであった。以来、頭に被るものがないまま数日を過ごした。別に、生活するにはたいして差し支えるわけではないのだが、ただ、なんとなくさみしいというか、物足りないというか……。
いつぞや書いたことがあるが、わたしは頭がデカイ。だから、小学5年生の頃に学校の授業で「真分数」と「仮分数」の違いを先生から教わったことがあるが、以来、同級生の間でのわたしのあだ名はずっと「カブンサン」である。つまり、分母よりも分子の方が大きい、すなわち頭デッカチなのが仮分数。小学5年生当時すでに頭のサイズが59センチであったわたしは、授業で「仮分数」というものを教わった途端、あだ名が「カブンスウ」となってしまった。
しばらくの間、クラスの連中は「おーい、カブンスウ! 早う帰るぞ」とか「カブンスウ、なあ、魚釣りに行かんや」などと声をかけていたが、次第に変化が現れた。いつしか、呼び方が、「カブンサン」というふうに「サン」づけになったわけだ。つまり、同級生たちはわたしを呼び捨てにするのでなく、ちゃんと「サン」をくっつけてくれたのだった。
実際、小学5年生当時のわたしは頭のデカさが目立っていた。運動会の時に赤団と白団とに分かれて競技がおこなわれていたが、その際、誰もが運動会用の赤・白の特別製キャップをかぶった。町の帽子店の親爺さんが学校に品物を運んできて、みんなに配ってくれたものであった。ところが、である。何十人、何百人という数の生徒たちの中に、ひとりだけ既製品ではダメな子がいた。それが、わたしだった。帽子屋さんは、巻き尺をわたしの頭に宛てがって、計ってくれた。
「うん、59センチなあ。分かった」
といって帰って行った。そして、何日かしてわたし用の59センチサイズの帽子が特別に与えられるのであった。あの頃、みんなの前で頭のサイズが測られ、59センチであるということがさらされてしまうのは、なんとも照れ臭かった。
さて、あれから約七十年、今でも人吉の帽子屋さんには大きなサイズの製品が置いてないのか、置いてあるのか、わたしは知らない。しかし、現在住んでいる八代市の方では、幸運にも59センチ大のものも売ってあったので、わりと苦労せずに野球帽風のものを数年前に手に入れることができ、愛用してきた。
それが、ある朝、帽子掛けに下がっていないではないか。いつも普通に使っている品物が、ある日、突然なくなってしまっている……なんだか、調子が狂うのであった。というか、帽子がないと、正直さみしい。坊主頭をさらしている状態は、なんだか拠りどころがないようなさみしさ、心細さ。「おーい、帽子よ、どこへ行ってしもうたかい」と、大声を上げたくなってしまう。
行きつけの喫茶店とか、風呂屋、食堂、その他いろいろと自分が常々立ち寄るところに訪ねて行ってみて、
「忘れ物の帽子は、ありませんか」
と聞いてみたが、どこにもわたしの59センチサイズの帽子はなかった。いやはや、困ってしまった。わたしは、いったい、どこでどう紛失してしまったのだったろうか。
ところで、そんなふうに帽子がなくなったものだから、ひょいと思いついたことが一つあった。それは、俳句の世界でのこと。冬の季語として、「冬帽子」がある。『日本大歳時記』には、「もとより防寒が主だが、これを用いたときの、安らぎに似たおもい」などと説いた上で、
労咳(ろうがい)の頬美しや冬帽子 芥川龍之介
何求めて冬帽行くや切通し 角川源義
冬帽の男みな父滝の前 沢木欣一
等、例句が挙げてある。「春帽子」という季語もある。『日本大歳時記』によれば、「春になると、冬帽子のように単に防寒のためにかぶる帽子ではなく、日射をさえぎるためのものとなってくる」のであり、
春帽子母に向かって冠り来る 中村汀女
乙女の膝かくして広き春帽子 上野さち子
この2句が例示されている。そして、夏は「夏帽子」である。「近ごろの男性には無帽の人が多い。むしろ、ファッションとしては女性がかぶる傾向にある」などと解説してあり、例句としては、
火の山の裾に夏帽振る分かれ 高浜虚子
かんかん帽わが若き日もありにけり 石塚友二
浅草や買ひしばかりの夏帽子 川口松太郎
等々が載っている。さて、では、今、秋。「秋帽子」という語については、どう説明や例句がついているのだろうか。
ところが、『日本大歳時記』は全1931ページという大冊であるのに、「秋帽子」という語は載っていないのである。念のために角川春樹編『季寄せ』もめくってみたところ、いや、やはり「春帽子」「夏帽子」「冬帽子」はちゃんと記載されているものの、「秋帽子」は出てこない。
つまり、「秋帽子」などという季語は存在しないわけだなあ、と、わたしは、ようやく知るに至った次第である。しかし、だ。秋という季節、帽子は他の季節と比べてそんなにも存在感が希薄であろうか。いやいや、帽子というものはやはり秋にもそれなりに必要とされ、愛用する人は多いのではないだろうか。――なんだか、今ひとつこの事実には納得しないなあ、などと、夜、机の前であれやこれや考えてみたことであった。
ともあれ、わが59センチサイズの仮分数帽子、まったく見つからなくて、お手上げ状態となってしまった。しかたなく、昨日、帽子店へ出かけて行き、新品を買い求めた。
今度はなくさないゾ。
2025・10・1