◇日本農業新聞(2004年9月26日付)で紹介されました。
◆著者は人をして語らしむるのが実に巧みな作家で、本書も多くの資料から青柳喜兵衛の全体像を描出している。(河田宏氏・評論家/埼玉新聞 2004年10月24日付)
◆この一冊は、青柳喜兵衛「発見」の書である。(山本哲也氏・詩人/西日本新聞 2004年10月3日付)
◇東京新聞(2004年10月17日付)で紹介されました。
◇産経新聞「旬を読む」欄で紹介されました(2004年10月24日付)。評者は田村治芳氏(「彷書月刊」編集長)。
◆奇しくも今年が生誕百年目。忘れられかけていた、青柳喜兵衛の馬顔が、本書によっていきいきとよみがえった。いつかこの絵を見に行こう。久作の形見の銀煙管をふかしていた青柳喜兵衛が描いた絵を。
(※弦書房註 この絵=青柳の『天翔る神々』。本書表紙にも使用。現在、北九州市立美術館蔵)
◇「月刊美術」(2004年11月号)「今月の“イチ推し”本」欄で紹介されました。
◆(青柳の)34年間を駆け抜けた生涯を描いた評伝だが、同時に文士たちとの交流を通して、第二次世界大戦に突入しようとする時代の、前夜ともいうべき時代を掬いとる。こんな時代があり、こんな熱い思いを抱いた人々が生きたことを、同郷の著者は、綿密な取材と考証、そして何よりも彼らに寄り添って、描き出している。
◇「彷書月刊」(2004年11月号)で紹介されました。
◇熊本日日新聞読書欄で紹介されました(2004年11月7日付)。評者は板井榮雄氏(画家)。
◇日経新聞(2004年11月18日付)「アプローチ九州文化」欄で紹介されました。
◆(青柳と久作の)二人は久作の新聞連載小説「犬神博士」の挿絵画家として出会い、その関係は久作の早すぎる死によって断ち切られるのだが、玄洋社的なるもの、あるいは強大な父の桎梏から逃れるように文学や絵画に向かった二人の才能は暗示的である。
◆本書は、喜兵衛の交友関係を周辺の文学誌によって丹念に掘り起こし、政治から文学までさまざまな光源を交差させ、今、福岡の風土が失ったものを、陰画のように照らし刺激的である。
◇読売新聞(2004年11月21日付)「日曜文化」欄で紹介されました。
◆著者によって「玉葱の画家」と名付けられた青柳喜兵衛は、まさに故郷の友人たちと密接に結びついて、自分の画業を開花させた画家であった。…本書は今年の「日本推理作家協会賞」を『夢野久作読本』(小社刊)で受賞した著者の連投の一冊であり、地域の文化とは、中央からの受け売りではなく、その地に根ざした地域の熱い精神が生んだということを示唆している。精細な調査と明快で切れ味のよいノンフィクションである。(亜沙ふみ郎氏/「望星」〈東海大学出版会〉 2004年12月号)
◇「季刊銀花」(2004年冬号 第140号)読書欄で紹介されました。
◆昭和の初期を駆け抜けた、熱く優しい魂を持った画家の軌跡が生き生きと甦る。