前山 光則
6月22日、人吉市で絵を観て来た。今年の2月に59歳で逝った画家・厚地宣行の遺作展「もっと見る・もっと知る」が、ギャラリー「ひとよし森のホール」で行われていたのだ。すでに遺作展は5月下旬から6月上旬まで熊本市の島田美術館でも催されたのだが、とっても良かった。具象と抽象の間にあって、深い思考と豊かな感性とが融合しあっている。人間界と宇宙との接点が模索されているような気配が感じられ、もう一度味わいたくなる。そうしたら、熊本市に住むSさんも八代市のIさんも「人吉展にも行きたい」とおっしゃる。同じ気持ちなのだ。それで人吉での遺作展を一緒に観にいくことに決定し、人数も合計7人。Iさんが車を運転し、雨の中、ワイワイガヤガヤ出かけたのだった。
じっくりゆっくり厚地宣行の世界を堪能した。1作1作から作者のひたむきさが迫ってくる。本当にちゃんとした仕事をしたのだ、と改めて感心した。
会場には画家のお兄さん夫妻がおられて、「何十年ぶりかねえ、すぐに分かったよ」と声をかけて下さった。小さい頃、お互い会場近くの紺屋町という町内に住んでいたのだ。お兄さんはわたしより5歳上、亡くなった画家本人は3歳下である。お兄さんよりも、画家となった宣行君といつも遊んだ。「良う一緒にこうらで野球やら何やらをしたですもん」と、思わず人吉弁が飛び出す。「こうら」は、河原のことなのだ。
帰りは雨が激しくなった。球磨川沿いの国道219号線、川は笹濁り状態であった。道は細いし、グニャグニャ曲がる。雨粒がバシバシと車を叩き、前方がよく見えない。えらいことになったぞ、と気に病んだくらいだった。と、一行の最年長Sさんが、「いやあ、これは良いぞ、な。余計なものが見えないって、素晴らしい。今日は良いものばかりだった」、感に堪えないという口調でおっしゃる。ははあ。窓外を透かし見れば、球磨川の谷は雨に煙る。煙霧の中に木々の緑や川の水が活き活きと見え隠れして、それ自体が一幅の絵であった。いや、そうだ、そうなのだ。厚地宣行の絵といい、この雨景色といい、良い物ばかり観ることができた。Sさんの言葉がジーンと心に滲みた。
残念なのは、画家・厚地宣行がすでにこの世にいないということ。本当に悔やまれる。