第132回 湯宿温泉のこと

前山 光則

 前回少しだけ触れた群馬県みなかみ町の湯宿(ゆじゅく)温泉だが、あそこへ立ち寄ったのは平成20年6月、入梅直前の頃だった。
 6月1日、吾妻渓谷を歩き、伊香保温泉にも立ち寄ってから利根川の支流・赤谷川沿いの渓へと入り、夕方、湯宿温泉の旅館に着いた。そこは、歌人・若山牧水が大正11年10月23日に来て泊まり、歌の弟子との出会いも果たした宿であった。ところが、通された部屋に牧水ならぬわがふるさと人吉出身の俳人・上村占魚さんの句「さびしさと春の寒さとあるばかり」の書かれた額が飾られていて、ビックリ。もっとも、占魚さんは若い頃の一時期に富岡の高等女学校で教鞭を執ったし、東京の郊外に居を構えた後も草津高原に山荘を持ったりしたから、湯宿あたりにそういうのがあっても不思議ではないわけだ。
 さて、翌日の朝、今にも雨が降りそうな気配だったが、付近を散歩してみた。宿の近くの共同浴場からさかんに女の人たちの声がする。年寄りだけでなく若い声も混じっていて、ああ温泉地へ来ているなあ、としみじみ思った。漫画家つげ義春は、湯宿温泉に、昭和43年の2月、泊まったそうである。その折りの感想は、『つげ義春の温泉』の中で「殺風景な街道の町といった趣きで、温泉らしさがない」とか「この町は時間が停止しているのではないか」などと語られているが、この漫画家はどうもそうしたさえない侘びしい温泉地が好みのようだ。湯宿でのイメージをもとにして、同年7月、雑誌「ガロ」に「ゲンセンカン主人」を発表しており、これは「ねじ式」と並んでつげ漫画の代表作だと思う。
 つげはその後も湯宿へ泊まりに来ているが、寂量感がなくて侘びしさが減じた、と愚痴をこぼしている。でも、わたしが歩いてみて、町全体こざっぱりしているものの、裏路地へ入ってみると、いやいや、結構うら寂しい雰囲気がただよっていた。死んだように静かな町の片隅にあるわびしい宿屋、ゲンセンカン。そこに秘められた男女の秘話。しかし、秘話といっても町の中の知る人は知っている。そこを訪れた旅人のことを、宿の主人と顔がそっくりだ、と町の人が言う。風の吹き荒れる日、旅人は付近の人たちがよせよせと止めるのを振り切ってゲンセンカンへと近づいて行く……散歩していて、名作の放つあやしげな空気が体感できるような気がした。
 その日は越後方面へ越える三国峠の麓の法師温泉や手前の猿ヶ京温泉を訪ねて、話しを聞いたり写真を撮ったりした。すべて、若山牧水の「みなかみ紀行」の足跡を辿っての取材行であった。猿ヶ京で旅芝居を観たのも懐かしい。そして、湯宿にはもう1泊した。共同浴場にも入ってみたが、湯船の中でのんびりと土地の話しなぞ聞きたかったのに、その時はあいにく誰もいなかった。
 あの一帯はもう一度旅してみたい!

▲湯宿温泉の裏路地。つげ義春は、この奥の旅館に泊まって名作「ゲンセンカン主人」のイメージを得たのだそうだ。ただ、昭和43年のままではないらしい。年月が経っているのだから無理もなかろう

▲湯宿温泉の共同浴場。誰も入りに来ていないので、湯が実にきれいに澄み切っていた。ゆっくり浸かることができたわけだが、ひどく寂しかった

▲旅芝居のポスター。これが温泉街のあちこちに貼られていたので、ついつい見物してしまったわけだ。16、7人しか観客がきておらず、侘びしかった。だがそれだけにつげ義春的な風情があって、ジーンと旅情が湧いた