第293回 火鉢にあたりながら

前山 光則

 4月10日、八代市坂本町の木造3階建て鶴之湯旅館に気の置けない者たち13人が集まり、にぎやかに花見会が行われた。
 そこは八代市の中心街から15㎞ほど谷を溯った球磨川右岸に立地しており、旅館の下は清流が音を立てている。もっとも、つい最近までそこらは3キロほど下流の荒瀬ダムの湛水域だったから、「湖」の趣きであった。ダム撤去工事が終わって、ようやくかつての奔流が甦ったのである。折りしも雨が降ったり止んだりだったが、桜が満開に近い状態だ。旅館の前の川畔にも桜の木が並んでいた。谷間の桜は平地よりもずっと美しいなあ、と思う。まずそれだけでも気分が満たされた。
 そして座敷で花見会が始まったが、料理がうまかった。前菜に煮付けやサラダや馬刺し等が出て、今まで食べた馬刺しの中で一番おいしかった。第一、脂のほどほどにのった部分を選んであり、柔らかい。やがて、チヂミ、サムゲタン、チャプチェといった韓国料理が出て来て、唸ってしまった。実にセンス良い味付けで、愉しくなる。酒類を呑む人には、黒糖焼酎「朝日」もあれば球磨焼酎「武者返し」、これは人吉市でわたしの幼なじみが誠心誠意醸造する逸品だ。〆は山菜を使った炊き込み御飯。よく食べ、よく飲み、お腹いっぱいになったが、食事プラス酒類飲み放題して1人4000円、メンバーのうち3人が泊まったが、泊まり賃はこの飲食費を含めて5900円プラス税だそうで、安いものである。
 この鶴之湯旅館、若主人の土山大典さん(34歳)によれば、彼の祖父がここで旅館としての営業を始めたのは荒瀬ダム完成前年の昭和29年。当初の数年間、ダム見物の観光客で賑わった。それが減ってからは近くのカヌー練習場の合宿所代わりに使われたり近隣の小中学校の教員が下宿したりもして、細々と営業が成り立っていた。だが、昭和が終わり、平成に入って、土山さんの母親がなんとか旅館を守っていたものの、体調が悪くなってから休業状態が続いていたという。土山さんは大学を卒業してから韓国へ渡り、日本食レストランで働いた後、6年前に帰ってきた。どうにかして旅館業を継ぎたいとの思いが募ってきて、昨年の春から準備を始め、11月にようやく営業再開にこぎつけたのだという。
 座敷に坐っていて、脇に陶製の大きな火鉢が据えてあるのも気に入った。実にやわらかな暖かさが立ち上ってくる。炭火の勢いが落ちてくると、火吹き竹を借りて火熾しをした。竹に口を当てて、灰が舞い上がらぬよう用心しながらフーフーと空気を送ってやる。少年の頃は家で盛んにやっていたが、何十年ぶりかなあ。土山さんが「わたしがやってあげますよ」と救いの手を差しのべてくれたが、断わった。「自分でやってみたかとです」と彼の方へふり返って言ったところ、彼は「はい、そういう方が多いです」、ニッコリ笑った。
 残念なのは、鶴之湯旅館の温泉に入りそこねたこと。次回はぜひゆっくり湯槽で時を過ごしてみたい!
 
 
 
①対岸から見た鶴之湯旅館

▲対岸から見た鶴之湯旅館。球磨川左岸、国道219号線からの景色。対岸に古風な木造3階建てがあるのを見つけて、わざわざ下流の橋を渡って訪ねてくる人が絶えないそうである

 
 
②鶴之湯旅館

▲鶴之湯旅館。古びていても、堂々たる建物である。旅館の左横の山の中にはトンネルがあり、JR肥薩線が走っている。明治時代30年代のトンネル掘削の際に湯脈が刺激されて、温泉湧出量が増えたという

 
 
③荒瀬ダム跡

▲荒瀬ダム跡。ダムは1年半の突貫工事で昭和30年に完成した。撤去工事は河川環境に配慮しながら、4年半ほどかけて行われた