前山 光則
NHKの朝の連続ドラマ「まんぷく」は、毎回なんとなく観ている。
つい何日か前には、長谷川博己の扮する立花萬平が試作した即席ラーメンを皆に食べさせ、それを妻の福子(安藤サクラ)はじめ全員が感心するというシーンがあった。チキンラーメンが世に現れた瞬間だな、と思いながら観たことであった。しかし、乾麺の表面がまだ平たいので、いやこれはまだ一工夫してからめでたく正式完成のシーンが来るのかも知れない。チキンラーメンの表には凹みがあって、あれは生卵が載せられるようなくふうであるはずなのだ。そんなことを思いながらテレビを見終わった時、無性にチキンラーメンが食いたくなっていた。すぐさま近所のコンビニに走り、買って来た。それで、昼食にはこれを食べたのであるが、実に久しぶり。おいしかった。アッという間に平らげて、ただ正直言えば少々腹が満たない。そこで考えたのが「汁かけ飯」だ。飯碗に熱い御飯をよそって、これにチキンラーメンの残り汁をかけてサラサラと、まあお茶漬けする調子。これがまたさらに良かった。チキンラーメンのスープは、ほんとに研究に研究を尽くしてあるのだろう。感心する。
すっかり満足して、その日はFMやつしろの出演日であった。午後1時からラジオ番組「かっぱのおちゃちゃ」で喋ったのだが、40歳代の女性アナウンサーMさん相手にチキンラーメンのことを話題にしたところ、彼女もやはり大好きだという。
「エッ、ほんと。いや、あれはうまいよね」
すっかり盛り上がったわけだったが、ただ彼女は洩らすのだ。
「でもね、わたし、どちらかと言うとアベックラーメンで育ったのですよ」
やあ、これは懐かしい名前だ。熊本市近郊の食品会社が製造・販売する即席ラーメンである。棒状の二人前の即席麺が袋に入れてあり、無論、豚骨スープが二人前、付けてある。チキンラーメンがお湯をかけて三分間待てばできあがりになるのと比べて、こちらアベックラーメンは鍋に入れて煮る必要がある。いや、実はわたしもまた彼女同様、チキンラーメンよりもこちらの方になじみきって育った人間なのである。
「わたしよりもだいぶん下の世代なのに、あなたもアベックラーメンになじんだわけか。いや、そうですか。わたしたちの子どもの頃に売り出された即席ラーメンだよなあ」
「エッ、それはホントですか」
「いや、そうよ。やっぱり、あなた、われわれはお互い熊本県民なわけだ」
あえて大袈裟に言うなれば、これこそはわが熊本県民の「ソウルフード」。アベックラーメンには実に長い間親しんできた。
気になって調べてみたら、チキンラーメンは昭和33年(1958)の発売だそうである。これに対して、アベックラーメンが世に現れたのは2年遅れの昭和35年(1960)だったそうだ。つまりチキンラーメンよりもアベックラーメンの方が遅かったことになるが、わたしたちはこちらの方に早く接した。思うに、当時はまだ関東・関西方面からの新しいものが地方へともたらされるにはかなり時間がかかっていたのである。チキンラーメンを知ったのはずいぶん後、昭和30年代も後半で、高校生になってからだと思う。
ともあれ、アベックラーメンが田舎町にもたらされた昭和33年といえばわたしなどは小学5年生だったが、わざわざ食堂まで行かなくても家庭でラーメンが作れるというので話題になった。親がよく作ってくれたし、自分たちでも簡単に調理できる便利さがあった。また「アベック」というのは、思うに、二人前だから「アベック」なのだろう。今では「死語」と化したが、当時はワクワクする格別のニュアンスがあった。子どもにとっては、なんだか大人の食べ物を特別に食べさせてもらえるような、ありがた味があるようなネーミングであった。
そしてまた、高校生になってからいよいよチキンラーメンの方を知り、これはまた鍋に入れて煮る必要がない。熱湯を注いでから三分間じっと待ちさえすればおいしく食べられるので、それだけでもビックリものであった。
加えて味が良いわけで、即席食品の中で際だっていたことになる。ただ、だからといってアベックラーメンが廃れたとは言えない。相変わらず店で見かけるので、ずっと親しまれていることになろう。
「そうだ、アベックラーメンも久しぶりに食べてみようかな」
「わが家では、こないだ子どもに食べさせましたよ」
――その日の放送は、しばらくはアベックラーメンやチキンラーメンや他の即席ラーメンの名が飛び交い、すっかり盛り上がったわけであった。