連載コラム: 『本のある生活』 2011.04.12

第46回 三角州の中で

前山 光則

 今、桜が散り始めるのと入れかえにいろいろの木々の若葉が目立ち始めている。さわやかな季節到来なのだが、気が晴れない。前回も触れたように、大震災以来、落ち着かないのだ。被災地のこと原発事故のことを思って胸が痛くなるし、一方で自分の居る場所のことも考えてしまう。
 昨日も、わが家近くの堤防の上を散歩していて気になったのである。堤防を境に右手が球磨川分流の河口で、河口から先には不知火海が広がる。そして堤防の左手は田んぼや宅地である。ちょうど満ち潮時、右側の水面と左手の土地と、どっちが高いかな。なんだか、気のせいか、あるいは目の錯覚か、水面の方がわずかに高いように見える…。
 家に帰ってから熊本県八代振興局作成の「八代干拓の歴史」と題したパンフレットを取り出し、読んでみると、八代平野はその3分の2が「江戸時代から行われてきた干拓によって生まれた土地」なのだそうだ。地図が載せられており、八代平野の山裾と海との間を北から南にJR鹿児島本線が通っている。その鹿児島本線よりもやや海に近いあたりはズラリと干拓でできた土地として色分けされているのである。小川町から北の宇城市寄りの一帯などは、鹿児島本線をまたいで山近くまで干拓地だ。色分けを見ていて、「3分の2」との数字は説得力を持つなあ、と思った。
 わたしの住む球磨川三角州はどうなのか。これは元和五年(1619)の大地震により崩壊した麦島城のあったところで、やや小高い一帯だ。そして島の下半分が「麦島村新地」といって、寛政元年(1789)に完成したのだそうだ。干拓地である。わが家はその麦島村新地内との境目にあるわけで、満潮時に堤防の内側よりも外側の水面の方が高く見えるのは本当のことなのだ。
 今までそのようなことはさして意識せずに現在の家に20年余住んできたが、考えてみればここにもし大津波が押し寄せたらひとたまりもなかろう。近所の人は「なに、心配いらん。向こうの方に天草上島・下島がある。南の方には長島があるし、津波の勢いは弱るはず」と言っていた。さて、どうなのだろうか。わたしは、三角州内に居を構える時、ここでもし大洪水が起きたらどうしようか、と一応気になった。ただ、川が時には氾濫するようなあたりを邪魔するようにしてわれわれ人間が住むのだ。水害に襲われても母なる河・球磨川に文句言うてはならぬ、と覚悟した。だが、正直なところ地震が起きたり大津波が押し寄せる事態までは意識していなかった。
 いつ牙を剥(む)くか分からぬ大自然、しかし気にしても仕方ないわけで、日頃その大自然の恩恵の中で暮らしている。いつものどかな風景が展開し、散歩も毎日楽しめる。そのことに感謝しよう、と、気が晴れぬながらも自分に言い聞かせてみるのだが……。

▲昔の堤防跡。道路右脇の土盛りが昔の干拓堤防の名残りである。八代平野では、こうした堤防跡があちこちに見られる

▲わが家の近所の水門。今、潮が満ちつつあり、これから水門は自動的に閉まって海からの水が陸地の方へ行かないよう護ってくれるのである
こんなのもアリマス

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