連載コラム: 『本のある生活』 2015.06.22

第227回 新しくなった水俣駅にて

前山 光則

 今年の梅雨はよく降る。6月14日(日曜)、用事があって友人S氏と一緒に車で熊本県水俣市へ出かけたが、ずっと雨であった。
 いくつかの用件を済ませた後、肥薩おれんじ鉄道水俣駅に立ち寄ってみた。ここは最近、改築工事が行われ、4月29日にリニューアルオープンした。だからS氏が「行ってみたい」というのである。そう、わたしも、特に駅の待合室のディスプレイを見ておきたかった。訪れてみるとえらく瀟洒な駅舎に生まれ変わっていた。そして待合室に入ってすぐ右のショーウインドウに、郷土の偉人・徳冨蘇峰、蘆花、淵上毛錢、高群逸枝、石牟礼道子、村下孝蔵、江口寿志が紹介されている。その中の石牟礼氏についての説明が話題になっていたのだ。顔写真の下にこう書かれている。
 
 
「1927年に生まれ、幼少よりこの地で育つ。水俣病を描いた『苦海浄土』を1969年に発表。文学の域を超える評価と共感を内外から集める。石牟礼作品の多くは受難民の心に私たちが近づくための導師となる。2014年には全17巻におよぶ個人全集も完結し文学者としての高い評価も定着したが、FUKUSHIMAで再現された事実や、弱者の存在に無表情な社会への絶望は深い。だからこそ石牟礼が病身を推して描くものは、近代合理主義の極みの虚無から現代人を救う力を秘めている」
 
 
 5月1日付け熊本日日新聞の記事によれば、この文の執筆者はNPO法人水俣フォーラム事務局長の実川悠太氏で、駅の改修工事にたずさわった工業デザイナー・水戸岡英治氏の依頼を受けてのことだったそうである。当初、実川氏の文案には「水俣工場が排出した猛毒、メチル水銀によって汚染された魚介類を食べた人の生命、身体の自由を奪うような重い症状」とか「国と熊本県が規制を怠った」などと、水俣病の発生や拡大のプロセスが書かれていた。ところが、これを読んだ西田弘志水俣市長から「想定していた内容と違う」とクレームが出て、それを受けて市関係者と水戸岡氏・実川氏との間に協議が行われ、結局、このような文面に落着したのだという。双方で協議された結果が、この文面。肝心要のところが省かれてしまっているのだから、これならば炭酸の抜けたビールと同じではなかろうか。ついつい苦笑してしまった。
 ついでながら、高群逸枝が紹介されているが、逸枝氏の死後、夫の橋本憲三氏が老後をこの町で過ごした関係で二人の墓所がある。しかし逸枝氏自身は水俣で生活したことはまったくないのである。この人が紹介されて、一方では水俣の町なかで育ち民俗学者として多大な仕事を遺した谷川健一、詩人としても思想家としても戦後の日本を疾駆した谷川雁(詩人・思想家)兄弟は無視されている……。
雨の中を帰りながら、せっかくのしゃれた駅舎なのになあ、と、残念でならなかった。
 
 
 
写真①肥薩おれんじ鉄道水俣駅

▲肥薩おれんじ鉄道水俣駅。垢抜けした姿、さわやかである。しかし、かつてのオンボロ駅舎も悪くなかったなあ。入って左側が待合室である

 
 
写真②待合室のディスプレイ

▲待合室のディスプレイ。顔写真や説明文だけでなく、著書も展示されている

 
 
写真③水俣駅前

▲水俣駅前。待合室を出て外を見ると、並木道の向こうはチッソの正門である。水俣はチッソ城下町だ

 
 
 

こんなのもアリマス

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