第299回 知床半島へ

前山 光則

 知床岬へ行きたかった。「知床の岬に はまなすの咲く頃/思い出しておくれ 俺たちのことを……」、森繁久彌や加藤登紀子がうたったこの「知床旅情」に以前から親しみを持っていたからだ。だが陸の方には車が通れるような道がなくて船で行くしかなく、それも船上から岬の断崖を眺めるだけになるらしい。そのような難所だとは想定外であった。
 5月26日、半島を途中まででも辿ってみることにした。午前8時半頃にレンタカーでJR斜里駅前の宿を出て、半島の西側海岸沿いを走った。道中ずっと霧が発生しており、眺望は良くない。途中、オシンコシンという名前の滝が道ばたの断崖にあって、それを眺めがてら休憩した。「オシンコシン」は「エゾマツの生えているところ」という意味のアイヌ語だそうだ。えらく勢いよく水が落ちてくるので、見とれてしまう。道の周りには蕗や虎杖(いたどり)がいっぱい生えて、大きくて、珍しくてならぬ。そこからやがてウトロ温泉の手前で道が右へ曲がり、半島東側の羅臼へ越える道、知床峠(標高738メートル)である。初めのうち道の両側はエゾマツなどの木々が繁っていたが、やがて熊笹の方が多くなる。道ばたに残雪が現れたのでこれはぜひ写真に記録しておこうと、パチリ。ところが、さらに峠頂上へと進んで行くと、あたりはもう雪、雪、雪、完全に冬景色である。峠頂上で、東の方角に北方四島の一つ国後島(くなしりとう)が見えないものかと遠望したものの、霧がかかってよく分からなかった。
 11時過ぎに峠道を下り終えて、羅臼のビジターズセンターへ入る。そこの種々の展示物を見学してから、羅臼町の中心部へ出た。「羅臼」はアイヌ語で「獣の骨のある所」という意味だそうで、このあたりはアイヌの人たちの狩猟の場だったようだ。実際、この半島ではヒグマやエゾシカがとても多く棲息しているらしい。ともあれ、道の駅に立ち寄って昼食をとったが、家の者はアナゴ飯、わたしは海鮮丼を注文した。すると、どっちも港から水揚げされたばかりの材料が使ってあるのでネタが新鮮なことはいうまでもないとして、量がまたえらく多くて、この辺の人たちは豪快だなあ、と感心する。おいしいことはおいしいものの、食べてしまうのに苦労した。
 午後1時半頃、羅臼を出た。今度は半島の東側の標津町(しべつちょう)を経由して網走市へ向かうことにした。行きながら、この半島に川が多いということに気づいた。どれも小渓流だが、ゴンゴンと勢いよく流れ落ちてくる。屋久島と似ているようだ。屋久島はしょっちゅう雨が降る。ここ知床半島は、冬場は雪がたくさん降り、春から秋にかけては霧が深いためこんなにも水量が豊かなのだろうか。棲んでいる淡水魚はおよそ40種類で、しかし圧倒的にサケ類が多いのだという。
 空が次第に晴れてきた。2時頃だったか、道ばたの広くなったところに車を停めてひと休みしたが、その時沖へ目をやって、オ、オッ、と息を呑んだ。わりと近いあたりに、はっきりと長く島が横たわっているではないか。あれはきっと国後島だろう。キャンピングカーで来ていた男の人に訊ねたら、深く頷く。そうか、やはり国後島か。地図を見ての目測に過ぎないが、あちらとこちらでは20数キロほどしか隔たっていないのではなかろうか。こんなにも間近かに、ありありと眺めることができるのである。かつてあそこに住んでいた人たちは、どんな気持ちであろうか。この眺望は忘れられないなあ、と、溜息が出る思いであった。
 
 
 
写真①オシンコシンの滝

▲オシンコシンの滝。チャラッセナイ川の河口部分がこうして滝になっている。滝上の標高は70メートル、落差は50メートル。「チャラッセナイ」はアイヌ語で「ちゃらちゃら流れる川」との意味だそうだが、いやいや、とんでもない。ゴンゴンと怖いほどの勢いである

 
 
写真②峠路に雪がいっぱい

▲峠路に雪がいっぱい。5月下旬でもこのように雪があるのだから、冬場は大変なものだろう。実際、おおむね10月下旬から4月にかけては通行不可能であるらしい。わたしたちが通過した時も、前日まで夜間の通行だけは禁じられていたのだそうだ

 
 
写真③羅臼港

▲羅臼港。訪れた時、港はいたって静かだったが、一年中色んな種類の海産物が水揚げされるのだという。ホエールウオッチングの船もここから出る。そして、冬には流氷が押し寄せるのだそうだ

 
 
写真④沖に横たわる国後島

▲沖に横たわる国後島。島の面積1489.27平方キロメートル、長さ123キロメートル。沖縄本島よりも大きいとのことだ。火山が多数聳えており、だから島内には温泉がとても多いそうだ

 
 
写真⑤浸食される海岸

▲浸食される海岸。国後島を眺めている時、足もとが崩れかけているのでビックリした。根室海峡の荒波に浸食されており、だから崖上のレストランは危険なため廃業していた