「パリ・キュリイ病院」書評から

◇朝日新聞(2004年11月6日付)の著者・野見山暁治氏のインタビューで紹介されました。

◇西日本新聞(2004年11月6日付)文化欄で紹介されました。

◇「美術の窓」2004年12月号で紹介されました。

◇毎日新聞(2004年11月12日付)に著者・野見山暁治氏のインタビューが掲載されました。
25年ぶりの復刊に際し、全く手直しをしなかったという氏は、「若い年齢でしか書けない一途さをそのままにしたかった」と話す。
椎名其二、浜口陽三ら、交友のあった画家たちも名を変えて登場する。異国の病室で死を待つ妻、屋根裏にともる貧しい人々の灯、待つ人のいなくなった部屋……氏にとって青春そのものだったパリがよみがえる。「読み返して、おれはこういう世界にいたのか、としみじみ感じました」

◇西日本新聞「西日本詩時評」欄で紹介されました(2004年12月2日付)。評者は岡田哲也氏(詩人)。

◇読売新聞(2004年12月4日付)で紹介されました。
『四百字のデッサン』(日本エッセイストクラブ賞)などで定評のある非凡な文章力は、すでにこの“処女作”に鮮明だ。潔癖、傲慢、そして悔恨……。若いということの悲しさが胸を打つ。

◇西日本新聞(2004年12月12日付)書評欄で紹介されました。評者は村田喜代子氏(作家)。
八十三歳の野見山暁治はヘルメットをかぶり飄々と鉱山へ絵を描きに行く。死者は青春の過去の国にいて、生き残った者は歩き続けている。

◇熊本日日新聞(2005年12月9日付)「わさもん好きの読書日記」欄で紹介されました。

◇新美術新聞(2005年1月1日付)書評欄で紹介されました。

◇朝日新聞(2005年1月9日付)書評欄で紹介されました。評者は安部寧氏(評論家)。
画壇で重きをなす著者は洒脱な随筆家としても知られるが、この若書きの詩情豊かな文章、生と死をめぐる精緻な省察にその萌芽が見てとれる。