第24回 体育の日をどう過ごしたか

前山 光則

 こないだの10月11日は「体育の日」。スポーツにいそしむ日だそうだが、わたしはそんな柄でもない。家でおとなしくテレビを観ていたところ、東北地方の山々が映し出され、今、紅葉真っ盛りなのだという。羨ましかった。画面いっぱいに燃えるような紅葉世界が広がる。ああいうところをトレッキングしたいもんだが、それに比べてわが中九州は紅葉には程遠い。「秋らしさが欲しいねえ」と愚痴をこぼしたら、女房からすかさず「秋らしいものはいくらだってあるでしょ」と意見されてしまった。
 そこで、スポーツをせぬ代わりに自転車で野辺めぐり。あった、あった。なんでもない空き地や川土手にコスモスが咲き乱れているし、用水路の岸には大きな柿の木が実もたわわである。それと、わが町は晩白柚(バンペイユ)や朱欒(ザボン)、甘夏蜜柑など柑橘類の栽培が盛んであるが、中でも温州蜜柑がすでにかなり黄色く色づいていた。球磨川の土手には、茅萱(ちがや)がわりと多い。うむ、紅葉が楽しめなくとも充分に秋らしさがあるぞ、と自分に言い聞かせた。
 何気なく空を見上げたら、おお、一面のうろこ雲。これはまた見事であった。しばらくは眼が離せなかった。

▲川の土手のコスモス。
ここには毎年咲くのである

 家に帰って茶を飲んでいるところへ、クロネコ・メールでしゃれた造りの新刊本が届いた。福岡市在住の詩人・樋口伸子氏の新詩集『ノヴァ・スコティア』(石風社)であった。今まさに読書の秋、グッドタイミングでとても嬉しい。すぐに読むのはもったいなくて、夜、食事も済ませてからゆっくり本を手に取った。全部で29篇が収められているが、その中の「星摘み」と題された詩……。

  ちょっとそこまで煙草を買いに
  そんな顔して出かけた男
  そのまま居なくなって
  人の話にも上がらなくなったころ
  夜の空のずうっと向こうから  

  やあ、ここだよ
  摘んでも摘んでも
  野原いちめん星ばかり
  だから なかなか帰れなくってね

 なんて質の良い詩だろう、と感心する。優れた詩人は現実世界の中で毎日24時間ずつ普通に暮らしながら、ちゃんといつも25時間目の方へ出入りできるキーを所持している。煙草を買いに行ったままいなくなった後、夜の空の向こうの方から「やあ、ここだよ」と何気なく声を発する男は、まぎれもなく25時間目の世界にいる人だ。
2010年10月16日

▲球磨川から用水を引く水門のところに柿の木があって、
いっぱい実をつけていた。もう少し色づけばおいしいかな?