第49回 てきぱきとゆかぬまま……

前山 光則

 この頃、屋根裏部屋がだいぶん暑くなってきたから、5月2日、1階の部屋へ移ることにした。2日後には友人たちと球磨川水源地へ出かけることにしていたので、その前にしておかなくっちゃ、と殊勝な気持ちになり、てきぱきと部屋の中のものを整理する作業を始めたのである。だが、やがて作業が停滞するようになった。だいぶん以前に購入しながらまだページを開いてもいない本、買ってきたばかりの本、読みかけの本、読み直そうとして本棚から出してきたのにまだ積んであるだけの本等々、次からつぎに机の上やら下やら引き出しの陰あたりから見つかる。
 野呂邦暢短編選『白桃』(みすず書房)、これは7編の短編小説が収められていて、毎日1編ずつ大切に読んでいる。野呂文学は派手ではないが清潔な知性と抒情があって、好きだ。1階の机の上に忘れず置くとしよう。
 それと、じっくり読み直そうと思うのが若松丈太郎詩集『北緯37度25分の風とカナリア』(弦書房)、著者は福島県南相馬市在住で、さきほどの東日本大震災で被災されたが無事であった。無事だったものの、あのあたり原発事故による緊張のさなかにある。あらためてページをめくって行くと、詩人の鋭い感性に引き込まれてしまう。著者は「十年ほどまえのあるとき、東電福島第一と同柏崎刈羽が同じ緯度上に位置していることに気づいた」(「あとがき」)と書く。しかも石川県の珠洲原発もほぼ同緯度上に位置するし、同じ線上に石油が出るし、ガス田、水力発電所があり、日本のエネルギー供給地帯としての役割を担ってきたことに着目し、さらに視野を世界地図にも広げて行ったのである。

「たとえば/一九八〇年六月採取/福島第一原子力発電所から北へ八キロ/福島県双葉郡浪江町幾世橋/小学校校庭の空気中からコバルト60を検出/……/むろん/原発操業との有意性が認められることはないだろう/ないだろうがしかし」(「みなみ風吹く日」)

 読み返しながら、若松丈太郎氏のこの詩集が期せずしてこのたびの事態を予言していたような、そんな気がしてならなくなった。これも1階の机には置かねばならない。
 それから、津川公治『小川芋錢』上巻・下巻(崙書房)という本が部屋の隅から出てきたが、これは2冊本なので暇がある時に読もうと念じながら忘れてたなあ。岩尾龍太郎『幕末のロビンソン』(弦書房)は、途中まで読み進みながらも中断したままである。ものすごく本格的な著作だから、じっくり時間をとって最初から読み直さなくてはいかんゾ。それに、新潮文庫の井伏鱒二『山椒魚』『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』も本の山から出てきた。井伏文学は味わい深いのだ。
 他にもあれこれ開いたり閉じたり、ちっともてきぱきとゆかぬまま、ああ、日が暮れた。

▲球磨川水源の谷。部屋整理の2日後、出かけた。新緑がとても美しかった。この滝のちょっと上から球磨川は湧き出しているのだ

▲山芍薬の花。水源地には山芍薬が群生している。いつもならこの時季満開なのだが、今年は遅くてまだ咲きかけの状態だった