前山 光則
最近、雑誌「マグナカルタ」3号所載の乳井昌史氏のエッセイ「愛川欽也と巣鴨の〃人情寿司〃」を読んで、意外なことを教わった。
乳井氏は、新聞記者をしていた頃、東京の巣鴨駅前商店街の横丁にある寿司屋の旦那が「近ごろ、この辺りは、年寄りの原宿みたいに言われてんだよ」と嬉しそうに言うのを聞いて、おもしろい、と受け止めたそうだ。それで、朝刊一面に連載中の「いのちとこころ」最終回に「おばあさんの原宿」との見出しで「巣鴨では、タワシと花梨(かりん)、それに『モンスラ』がよく売れる……」云々と地蔵通り商店街のことを紹介したところ、大きな反響があった。これ以来、乳井氏は商店街の愛称「おばあちゃんの原宿」の名づけ親とみなされているとのこと。知らなかったなあ、とわたしは驚いた。乳井氏自身は「すでに世間で言われている言葉を僕はただ掬(すく)い上げただけなのだ」と謙遜しておられるが、しかし、おもしろいと感じて積極的に見出しに用いたのだから、やはり名づけ親の栄誉を担う資格が充分あるのではなかろうか。
乳井氏のエッセイによれば、もう亡くなってしまったが寿司屋の旦那はとても魅力のある人だったし、タレントの愛川欽也や相撲の大乃国も馴染み客だったそうである。しかも愛川欽也は巣鴨育ちで、今でも本籍は巣鴨に置いている。郷愁からでなく、巣鴨は戦時中に空襲に遭ったから、自分自身の戦争反対の気持ちの証(あか)しとして本籍を置き続けているのだという。心にしみる話ではないか。
わたしも地蔵通り商店街には2年前に行ってみて愉しめたので、この連載コラム第42回にその時の様子をレポートした。しかし、商店街でタワシと花梨とモンスラがよく売れていたという点についてだが、あの時タワシと花梨は確かに目にした。特に花梨は喘息に悩むお年寄りにとって救いの神だから、巣鴨で売れ筋なのは納得できる。「花梨の全国消費量のほぼ半分はここで捌かれていた」と乳井氏は当時をふり返っている。だが、「モンスラ」って何なのだろう。まさか「モスラ」ではあるまいな。だが、家の者に聞いたらそれはもんぺをスラックス風に造りかえた履き心地いいものだというから、エーッ、そんなものがあの商店街に売られていたのか。そこであの日の写真を見直してみたが、赤パンツの店とか荒物屋、塩大福店、はぎれ屋、手相鑑定店等たくさん撮影しているものの、モンスラらしきものはどこにも写っていない。
考えてみれば、あの時はただフラリと行ってみたのだった。だから、モンスラや魅力ある寿司屋さんだけでなく「おばあちゃんの原宿」の名づけ親が『南へと、あくがれる——名作とゆく山河』(弦書房)の著者・乳井昌史氏であることも知らぬままだった。「少しの事にも先達はあらまほしきことなり」—「徒然草」の中にこういう警句があったなあ。