市原猛志
【金久白糖工場石垣(1865年頃竣工)鹿児島県奄美市】
「明治日本の産業革命遺産と奄美」と題された講演会の講師を引き受け、福岡空港と奄美大島空港とを結ぶ一日一便の飛行機で、奄美市名瀬に向かった。便数だけで言ってしまうとタイミングの良くないとなかなか伺う機会のないところではあるが、沖縄とも、九州とも違う文化が多く、独特の魅力を感じる。
奄美地方最大の市街地である名瀬地区には、今回の講演タイトルとも縁深い外国人の建てた工場の跡が残っている。それが今回紹介する金久地区の白糖工場で使用された石材を用いた石垣である。この白糖工場は、グラバー商会のグラバーを介して薩摩藩に雇われた、いわゆるお雇い外国人のトーマス・ジェームス・ウォートルスが奄美の地に築いた製糖工場であり、幕末期における薩摩藩の外貨獲得に貢献した、近代化の先駆けとなった記念碑的施設である。
現在工場跡地には目立った遺構もなく、ただ製糖工場で使用された石材の一部が写真に見られるように民家などの石垣の一部として現存している。奄美大島特有の珊瑚で出来た石灰岩と全く見た目も異なる火山灰が変成して出来た溶結凝灰岩なので、ふらっと観光客が訪れてもすぐに違いが分かるかと思う。