『ヤポネシアの海辺から』対談 ダイジェスト

石牟礼 私は『死の棘』をお書きになるのに、ミホさんがかなり文章の内容まで加勢されたのかしらと思ったりいたしまして……。

島 尾 そのようなことはございませんでした。しかし清書は私がいたしました。島尾の作品は初期のものから、絶筆に至りますまでのほとんどの作品を、私は清書いたしました。『死の棘』の清書ももちろん私がいたしました。
それをお聞きになって、びっくりなさる方もいらっしゃいますが、『死の棘』を含めて、小説作品はすべて、作家としての島尾の思考に基づいて作り出された世界でございますから、小説作品として読んでの感興はございますが、書かれている内容についての別段の感慨はございません。
そして作品の内容に関して私が介入したことはございません。(略)ことに書くことに関しましてはひとしお厳しい態度で臨んでいましたから、私が言葉をはさむことなど思いも及ばぬことでございました。

石牟 なるほどねえ。

(『ヤポネシアの海辺から』 「 『死の棘』の内側」より) ※『死の棘』……従順な妻が夫の情事で神経を乱し、執拗な嫉妬と糾明で明け暮れる日々を描いた島尾敏雄氏の代表長編。日本文学大賞などを受賞した。ミホさんや家族が実名で登場するため、「実話」と受け取っていた向きが多かったが、ミホさんはこの対談で初めて島尾の創作の内殿ともいうべき秘密を明かしている。