前山 光則
11月6日(土曜)、近所の人から誘いの声がかかって「五木の子守唄祭」を見物しに行った。Y氏の運転で、総勢4名、ワイワイガヤガヤ楽しく出かけたのであった。
かつて村の中学校や人吉高校五木分校のあった敷地が臨時駐車場にしてあり、そこから会場の代替地方面まではシャトルバスが出ていたが、せっかくだから歩いた。天気晴朗、山の中だからヒンヤリとはするものの、風も吹かない秋日和。Y氏は、若い頃ここらに4年間住んだというので、感慨深げであった。「夜は寂しかったとばい」とY氏。でも、それでもその頃は学校や住宅等があり、店もあった。今はもう、なんにもない藪くらだ。この村がいかにダム問題に振り回され続けたか、あらためて考えさせられる。
代替地では、テント張りの唄の会場にも大勢の人がいたし、交通止めとなった道路には露店がズラリ並び、押し合いへし合いという感じの盛り上がりようだ。露店の肉うどんとお握りは昼飯にちょうどよかった。それに、蕎麦掻きを売る店があったから食ってみたが、これがまた香りが強いし、コクのある味。聞けば、焼き畑で採れた新蕎麦なのだそうだ。こんなうまいもの、滅多に食えるものではない。ドラム缶みたいに大きな鍋で煮た芋ダゴ汁は、お代わりをしてしまった。
生ビールも飲んだ。グイッとあおると、やけにわが喉が喜ぶ。椅子に座って飲み食いしていたら、ステージから「おどんが/お父っぁんな/あんやみゃ/おらす/おらすともえば/いこごたる」「つらいもんばい/他人のままは/にえちゃおれども/のどこさぐ」等と唄が流れてきた。若い人のも好感が持てたし、93歳の堂坂ヨシ子さんの声には年輪というものがにじみ出ていた。
近くの古民家に昔の村の写真が展示してある、というので入ってみた。写真の1枚1枚にまだ立ち退きの始まる前の村中心部ののどかな景色が写っていて、胸が締め付けられた。
写真だけでなかった。「五木の子守唄人形デッサン図コピー」と称するものが長押(なげし)に飾ってあり、そう言えば昭和の50年代頃だったか子守唄人形が土産物で売られていたよなあ、と見入ったら、説明がついていた。それによると、あの人形は画家の香月泰男がデザインしてくれたのだそうである。五木村の中に戦友がいて、そのご縁で実現したのだという。エッ、あれは痛切なシベリア体験を描いた画家が原型をデザインし、それをもとにして製作されていたわけか、凄いゾ!――五木村の隠れた歴史に触れた思いがして、ちょっと興奮したことであった。
この「五木の子守唄祭」、わたしたちが楽しんだのは「第1日目」であり、祭は翌日も行われたのだという。村民のパワーが伝わるではないか。五木村、これからもガンバレ!