前山 光則
わが家の屋根裏部屋が、きれいに片づいた。今回からここでコラムを書くが、三畳ほどの狭いところながら、フレッシュな気分だ。それも、なんだか世を忍んで籠もっているかのような、そう、ここは「男の隠れ家」である。
さて、天高く馬肥ゆる秋、食べものの話である。いや、なにも贅沢なものではなく、カライモがうまいのだ。家の者が蒸(ふ)かしイモにしてくれたのを頬張る。熱いホッカホカのは素直な甘さがとても心地良くて、これにバターやマーガリンを塗って食べてもイケル。それから、日曜の早朝にはJAつまり農協(この言い方の方が分かりやすいのだよなあ)の空き地で朝市が立つ。農家の人たちが野菜やら漬物やらを持ち込み、安く売ってくれるのだが、先日は大根の間引き菜を塩漬したのが一パックたったの100円で置いてあった。これを刻んで、蒸かしイモに添えて食ってみたら実に合う。ははあ、カライモの甘さと間引き菜漬の塩味との相性なのだな、と考えた。それで今度は塩鰯と一緒に蒸かしイモを食ってみたのだが、これがまたなかなか良い。
こんなふうなことを若い女の人たちの前で喋ってみたら、「でも、おイモに鰯は、ねえ」と否定されてしまった。彼女らは、カライモは大好きなのだ。しかし、そこへ鰯を持ってくると「嫌だあ!」と顔をしかめるわけで、イメージが悪いのだろう。小さい頃に婆さん達が「天草島では、米がよう出来んから、毎日、カライモと鰯ばっかり食うて暮らさにゃならんげな」と語っていたのを思い出した。事実、天草島は土地が痩せていてカライモ作りには向いていても稲作はふるわない。鰯とカライモばかりの日々はさぞかし辛かろうなあ、と幼いながらに同情したものである。
その天草出身の作家・島一春(しま・かずはる)の若い頃の作品に「無常米」というのがある。なかなか米にありつけない、それこそカライモと鰯ばかりの生活。村の人が亡くなる時、まわりの者たちが竹筒に生の米粒を入れてカラカラと振ってやるのである。あの世に逝く者へせめてもの餞別として米粒の音を聴かせてやる、これが〈無常米〉なのだ。哀切極まりない小説であった。ただ、婆さんが言っていたことも島一春の名編もあくまで昔の話であって、現在は克服されて久しい。
塩鰯だけでなく、試しに鯖や鮭も焼いてカライモと一緒に食べてみた。やはりうまい。なんと言ってもカライモの甘さと塩味とがピッタリくるのだなあ、と確信した。天草の昔の人たちは、ほんとは絶妙の取り合わせのものを口にしていたことになる。もっとも、これはたまに食するから良いわけで、しょっちゅうカライモと鰯が続くのであればウンザリしていたし、惨めな気持ちだったろう。米の飯にありつきたかったのは、当然のことだった。竹筒の中の米粒の音は、美しい天草島の中で実に切なく響いていたのだ。