前山 光則
4月13日、国立国会図書館に行った。
10日間ほどの予定で東京へ出かけたのだが、遊びまわる前にマジメなことをしておこうという次第であった。本館6階建て、新館4階建てという大図書館の前に立つだけで緊張した。入口で利用者登録をした後、奥の方へ進む。事前に電話を入れて雑誌「主婦の友」の昭和18年6月号が所蔵されていることを確認済みで、その実物を閲覧させてもらったのである。蔵書数1千万冊をはるかに超すそうで、そんな中から取りだしてもらうのには20分余り待たなくてはならなかった。
なぜ戦争中の「主婦の友」を見てみたくなったかと言えば、詩人・淵上毛錢が、昭和18年の5月20日に恩師・小野八重三郎に宛てた手紙の中でこう記しているからである。
「看護婦さんが私に内緒で私の俳句を投書したら、主婦之友六月号に出てゐて金五円也といふことになり、それをおまけに私がひよつとしたことから発見して大笑ひといふ、私は俺の作った句によく似た句があるものだと思ってみましたら何と熊本田中ふさえとあり。初夏の俳句綺譚を一つしておきます。私にとっては余り自慢にはなりませんが、彼女達は賞金の分配を合議して楽しみなやうです」
毛錢は、当時、28歳だった。昭和10年に結核性股関節炎が発症して歩行不能となり、熊本県の水俣の生家で苦痛に満ちた闘病生活を過ごしていた若き詩人にも、このような愉快なひとときが訪れたわけである。でも、さてその掲載誌はといえば、なぜか実際に目にしたことがなかった。あちこちに問いあわせたり、研究家に尋ねたりしたが、実物に行き着かない。それが、国会図書館に問い合わせたら所蔵されていると分かったのである。
さて、ようやく雑誌と対面することができた。パラパラと捲っていくうちに、読者が投稿する短文芸のページが目に飛び込んだ。「二等(賞金五円)」として「行き逢うて手籠の底の土筆かな」という句が載っており、作者は「熊本・田中ふさえ」である。図書館にはわたしの女房も同行したのだが、2人で顔を見合わせて、「あった。……ホントの話だったんだ」、つい声がうわずってしまった。実は正直なところ、ちょっとだけながら「あれは、ホラ話かも知れん」と勘繰っていた。毛錢さん、疑って申し訳なかった、と謝りたい。俳句欄の選者・水原秋桜子は、「つゝましい気持ちの人でないと、かうは詠めない。野路に行きあひつゝ、互にいたはり励ます心を持ち合ふのは楽しいことである」と評している。毛錢は自作が婦人雑誌に載って面白がったわけだが、それ以上に「つゝましい気持ち」「互にいたはり励ます心」との選評にはとても尻がこそばゆくなったのではなかろうか。
国会図書館での用を済ませてからは、皇居のお堀端・桜田門・日比谷公園等をまわり、帝国ホテル内の上等な店々を冷やかしたりもして、すっかりお上りさんそのものであった。