前山 光則
5月26日の夕方、網走市へ入った。ああ、最果ての地へ来たなあという気持ちだった。多分、若い頃に観た高倉健主演の任侠映画「網走番外地」シリーズの影響だろう。実際、網走市三眺(さんちょう)国有無番地にある網走刑務所は日本に数ある刑務所中、最北端に立地するのだそうだ。しかし、夕方、家の者と一緒に市の中心街を歩いてみたら、網走市の人口は約3万8千人だそうだが、ひなびた雰囲気ながら小ぎれいで、最果ての地というイメージには縁遠い、感じの良い町だ。蕎麦屋に入ると、気さくな雰囲気で蕎麦もうまい。
翌日、朝食前に一人で網走川沿いを散歩した。映画やテレビドラマによく出てくるという網走橋を渡って河口の方へ下って行くと、モヨロ遺跡と呼ばれる小丘があった。アイヌの人たちにとってここらはモヨロ・コタン(入り江の集落)だったのだそうで、つまりは古い昔から人の営みが続けられてきたのである。港の中に「薩摩丸」という名の貨物船が停泊していたのは、現在ただいま九州との往き来がある証拠だ。ただ、沖を眺め渡すと、とてつもなく広々とオホーツク海が広がる。空がどんより曇っていて、この時ばかりは「遙か 遙かかなたにゃオホーツク 紅い真っ赤なハマナスが 海を見てます泣いてます……」、あの「網走番外地」シリーズの主題歌が頭の中に流れた。不意に、日本列島は約3500㎞あるそうだが、ほんとに長いのだなあ、という思いが湧く。島尾敏雄氏のいわゆる「ヤポネシア」という語も想起されたのであった。
朝食を済ませてから、早めに宿を出て、網走湖をぐるりと巡った後、「博物館・網走監獄」へと見学に行ってみた。ここは網走刑務所が改築される際に昔の建物類が移築・復元保存され、昭和58年に博物館として開館したのだという。1番の見どころは獄舎つまり舎房であった。5つの棟が放射状に広がり、最大700名まで収容できたという。そして、それを1カ所から監視できるようになっている8角形の中央見張り所。きっちりとよく出来ていて、無駄のない建物である。教誨堂や独居房、浴場等、見てまわっていて飽きない。
しかし、一番感じ入ったのは、網走刑務所というものがもともとは国事犯、つまり明治政府に対して反乱を興した者や思想犯を収容するための施設だったこと。明治政府は、当時南下政策を画していたロシアに対して北海道開拓や防衛を急ぐべく国事犯を網走刑務所に収容し、開墾や道路開鑿などの労働をさせたのである。時代が経るにしたがって、国事犯・思想犯以外の「平民」たちも徐々に入れられるようになっていったという。脱獄常習犯もいれば、とても個性的でおもしろみのある者も入ってきた。中でも五寸釘寅吉(本名、西川寅吉)は、各地で6回も脱獄をしでかして名を高め、後に網走に来てからは模範囚となった男なのだそうである。山谷一郎著『五寸釘寅吉の生涯』の中では、熊坂長範・石川五右衛門・日本駄右衛門・鼠小僧次郎吉と一緒に「日本の大盗賊」にランクされている。
ちなみに、ここには「監獄食堂」もある。「現在網走刑務所の受刑者が食べているメニューを再現しています」(パンフレット「博物館 網走監獄」)との触れ込みで、「さんま定食A」(720円)と「ホッケ定食B(820円)」だそうだ。実は知り合いのY女史から「あそこの定食って、興味あるわ。行ったら、食べてみてよ。ぜひ感想を聞かせてほしい」と言われていたが、時間がなくて食堂には入らなかった。Yさん、ご免なさい。