第355回 ほんとのことを言うべきか?

前山 光則

 10月も半ばにさしかかった頃から、めっきり秋らしくなった。夜中や明け方など寒いくらいだし、昼間かんかん照りであってもさほど暑いと思わない。
 そして、今、もう秋は深まりつつある。
 読書の秋である。刊行されて間もない『石牟礼道子全歌集 海と空のあいだに』(弦書房)を、少しずつ読み味わっている。

 ひとりごと数なき紙にいひあまりまたとぢるらむ白き手帖を
 玉葱の皮なんぞむき泣いてゐたそのまに失つた言葉のいくつ
 かたぶいたトロッコの上にやつとこさ道生がのぼつたオーイと手を振る
 さらさらと背中で髪が音をたてますああこんな時女の言葉を聴いて下さい
 雪の辻ふけてぼうぼうともりくる老婆とわれといれかはるなり
 水底の墓に刻める線描きの蓮や一輪ざんむどう残夢童じよ女よ
 花びらの吐息のごとくてのひらになでられつゆく冥土への旅

 こうした石牟礼短歌の数々をじっくりと見ることができる本である。それはすなわち、故・石牟礼道子さんの全生涯が短歌作品を通して展望できるのである。しかも、水崎真奈美さんによる装丁がすばらしいというか、これは会心の出来だと思う。
 さらに、今は食欲の秋である。
 実は、一週間ほど前、石牟礼さんの地元・水俣市に出かけたついでに「HR饅頭」(仮名)本店の回転饅頭を10個買って帰った。帰ってすぐ1個だけ食べて、後は一つ一つサランラップにくるんだ上で冷凍保存した。こうしておけば、好きな時に取り出し、レンジで温めて味わうことができる。
ついでに言っておけば、黒餡入りと白餡入りの2種類あるが、わたしは黒餡の方が好みである。
 その「HR饅頭」の店は水俣市のど真ん中にあって、小店舗ながら庶民的な感じのたたずまいで、いうまでもなく人気があり、客がたいへん多い。水俣市内には他にチッソの生協・水光社の店舗内に支店があり、4年前にこの連載コラム第235回「『黒餡』か『赤餡』か?」で話題にしたのはこっちの方で買った回転饅頭である。あの時ははっきりとは記さなかったが、石牟礼さんのご主人の弘氏が亡くなられて、通夜の手伝いに行った。その折り、御自宅でみんなでこの回転饅頭を食べた時の一場面をレポートしたのであった。
 支店やグループ店は、水俣だけでなく福岡市・熊本市・鹿児島市・宮崎市にもある。とにかく蜂蜜がうまく使ってあり、おいしさが他の凡百の回転饅頭よりもひと味もふた味も違うから、昔から大好きである。かつてはわたしのふるさと熊本県人吉市にも支店があった。小学生の頃に人吉に「HR饅頭」が出現した時、他の店の回転饅頭にないおいしさにびっくりした。あの頃、どこの回転饅頭もあんこにサッカリンが使用してあり、本当の甘さではなかった。そこへ、蜂蜜入りのあんこを使った饅頭が到来したものだから、みんなが飛びついたのであった。
 さて、数日前の水俣本店でその回転饅頭を買う前に、店のわりと近くに住んでいる書道家先生宅を久しぶりに訪ねた。日ごろ敬愛する高齢の書道家・F氏は相変わらず元気で、矍鑠(かくしゃく)たるものである。
「あんたが来たから焼酎でも飲ましてやりたいが、今日は車か。仕方ないから、おい、菓子でも」
 と娘さんに向かっておっしゃる。娘さんは茶と菓子を運んで来て、笑いながら、
「ほんとうは、あなたは回転饅頭が良かでしょうけどね、今日はあいにくわが家にはないもんだから」
「うん、そうそう、あんたはあそこの回転饅頭が好きだな。こないだ、いっぺんに2個食ったんだったな」
 と書道家も笑顔でおっしゃる。だから、わたしも、
「大丈夫ですよ。あとで本店に立ち寄って、1箱買ってから帰るつもりですから」
 と応じた。すると、娘さんがしみじみした声で言うには、
「こないだね、福岡市から、お客さんがね、いらっしゃったとですよ」
「ほう、福岡から、ですか」
 すると、娘さんは、少し声を低くして、
「おみやげにね、回転饅頭を持って来てくださったのね。そこの『HR饅頭』は、福岡にも支店があるとですもんね。その福岡支店のを、ね、買って来てくれて、ですよ」
「おや、ま、福岡支店のを?」
「それで、おっしゃるのがね、これは福岡名物の蜂蜜入り回転饅頭ですから、うまいんですよ、どうぞ!って……」
「ほう、それは、また」
 その福岡からのお客は、「HR饅頭」の本家本元が水俣市の書道家宅のすぐ近く、せいぜい2百メートルほどしか隔たっていない場所にずっと以前から営業しているということを、どうもまったく知らないらしい。
「初めてのお客さんですか」
「そうですね、二度目かな」
「車でいらっしゃったんでしょうか。それとも、駅から歩いて?」
「車で」
「しかしなあ、あの店に気づきそうなもんですよね」
「でもねえ、あまり派手な店じゃなかですもんね」
「あ、まあ、そうではありますが……」
 つい失笑してしまった。
 そして、考えた。水俣の本店以外では、熊本市の上通町の支店で時々食べることがある。1個とか2個だけ買って、店の奥に喫茶室があるからそこで味わうのである。それから、福岡の「HR饅頭」ならば天神の岩田屋内にもあるのだそうで、それを買って来た人から分けてもらったことがある。さて、味わいであるが、はっきり言って、熊本のも福岡のもまずいわけではない。いや、充分においしい。しかし、やはり水俣の本店に比べて若干ながら甘さに深みがない。やはり、本店の方に軍配を上げねばならない。福岡からの人が「HR饅頭」本店のことを知らないままというのは、いかにも残念なことだと思う。 だから、つい背筋を正して口走った。
「イヤー、ソレハ、ヤハリ、本家本元ガスグ近クニ存在スルッテコトヲ、教エテ、アゲル、ベキデスナア!」
 すると、娘さんは顔を赤らめて、
「ばってんかですねえ、……言えなかったとよねえ……」
「シカシ、知ラナイママ、ナンデショ?」
「それは、そぎゃんですがね」
「ウ……ム」
 わたしは、さらに言いつのるようなことはしなかった。というか、「教エテ、アゲル、ベキダ」と意見したものの、わたしだってやはりそのお客さんを不憫に思ったのではあった。ほんとのことを証すべきか、どうか、こういう時の判断は難しいなあ、と思う。
 そして、書道家先生宅を出た後で「HR饅頭」本店に立ち寄った。店の人に注文をしてから品物を受け取るまで、15分ほどは待たなくてはならなかった。それほどに先客が多かった。わたしは黒餡10個入り一箱を大切に持ち帰ったのであった。
 ちなみに、わたしが冷凍しておいた「HR饅頭」はあと3個しか残っていない。冷凍しておいた後に暖めて食べても、おいしい。充分に幸せ感が口に残る。

▲鈴生りの柿 今、あちこちで柿が熟れている。甘柿も渋柿も、良い色である。