第272回 曼珠沙華に想う

前山 光則

 毎月2回ずつ地元のFMラジオにコメンテーターとして出演しているが、2時間近い放送の終了直前にはいつも折り折りの時季に見あうような俳句を紹介することにしている。
 9月14日の放送の時は、金子兜太の「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」というのを選んでみた。蕾が膨らんではいたものの、まだ花が咲き揃うまでにはなっていなかった。しかし、曼珠沙華は別名「彼岸花」である。秋の彼岸が近づいてきているから良いのではなかろうか、と考えたのである。野原や田の畦に曼珠沙華の咲くような田舎、子どもたちが半ば裸に近い恰好で元気よく遊ぶ姿が忍ばれて、好きな句だ。金子にとって埼玉県の秩父は親しみ深い故郷である。幼少時、自らも「腹出し」で元気いっぱい遊んだのだったろう。
 この花については、妙な思い出がある。まだ小学3年生か4年生の頃だったが、ラジオから女性歌手の声で「赤い花なら マンジューシャゲ/オランダ屋敷に 雨が降る/濡れて泣いてる ジャガタラお春/未練な出船の ああ 鐘が鳴る/ララ 鐘が鳴る」と歌が流れてきて、聴いた途端に笑ってしまった。マンジューがビッシャゲタ(ぶっ潰れた)って? ひょっとして饅頭が潰れてしまったかのような形の花があるのだろうか。よっぽどクシャクシャした恰好の花バイ、と勘違いしたのである。転げるようにして笑ったものだから、母が「どうしたと?」と聞く。それで、「饅頭のビッシャゲとるごたる花って、おかしさよー」、正直に気持ちを言った。すると、母は「ああ、マンジュシャゲ。あれは、あんた、秋にはその辺に赤か花の咲くどがね、彼岸花のことたい」と教えてくれた。なんだ、彼岸花ならば知っとる。傍らで聞いていたどこかのおばさんも頷いて、「ほら、こういう字を書くとよ」、親切に宣伝ビラの裏に「曼珠沙華」と書いてくれた。へーえ。少年のわたしにとって、狐に摘まれたような思いであった。
 それ以来、曼珠沙華の花が田園に現れるとかならずあのときの「マンジュウのビッシャゲとるごたる花」のイメージが蘇えり、ニヤニヤしてしまう。ものの本によれば「曼珠沙華」は梵語で「赤い花」を意味するそうだが、わたしの中であの歌謡曲「長崎物語」に登場する「マンジューシャゲ」はやっぱりいつも饅頭がクシャクシャになってしまっている。もっとも、昭和53年に山口百恵が歌った「曼珠沙華」では、「マンジューシャカ 恋する女は/マンジューシャカ 罪作り/白い花さえ真紅に染める」である。そうそう、「マンジューシャゲ」よりも「マンジューシャカ」の方が上品で、絶対にイメージがピシッと引き締まるなあ、と大いに喜んだものであった。
 9月14日は、こんなふうな思い出話を番組の中でつい喋ってしまった。相手役の若い女性アナウンサーM嬢は、「フーン」、あまり気が乗らないふうであったが……。
 
 
 
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▲曼珠沙華。八代の町から日奈久温泉へとつづく道。毎年、こうして咲くのである