第458回 笹濁り・赤濁り    

前山光則 

 今年も、梅雨に入って、よく雨が降る。
 入梅して間もない頃だったか、朝、行きつけの喫茶店でコーヒーを啜りながら、
「いやあ、昨日からよく降ったもんだから、さっき球磨川の様子を見に行ったら、笹濁りだったですね。まだたいしたことなかけど」
 と店のマスターに言ったら、
「うん、雨が良う降るのも、今からが本番だからねえ」
 と頷いてくれた。しかし、たまたま隣りに座っていたMさんは、きょとんとして、
「ん、なんですか、球磨川が、ササ・ニゴリ、ですか?」
 首を傾げるのであった。あ、いや、そうか。この方は球磨川の近くで育ったわけではなさそうで、言葉の意味が通じていないわけだった。だから、雨が降って川が増水した際に、水が笹色になった状態を言うのだ、と説明してあげた。
 球磨川は大きな川だから、少量のにわか雨程度で濁ってしまうことはない。球磨郡の一等奥の深山から発して谷を下り、人吉盆地を潤し、盆地の西端でまた山間部に入り、うねうねと谷間を流れた後、八代平野へと出てくる。そして、不知火海へと流れ出るのである。常々、悠々ときれいな澄み切った状態で流れるわけだが、雨がたくさん降るとさすがに変化を強いられる。それで、まだ泥の色が濃くならぬ前のわずかな濁りを、小さい頃から「笹濁り」と呼んでいたのである。
「……というふうに、まだ、川が、大して汚れておらん状態なのですよ」
「ほう、笹濁りですか。球磨川流域では、そのような言い方があるのですね」
 Mさんは納得してくれた。
「しかしねえ、今日はよく降りよるから、川が増水して、もっと濁ってくるとだろうなあ」
 マスターがそう言うので、こちらも頷いて、「そうですよね。濁り掬いする人が出てくるでしょうね」
「ああ、うん、元気者はな」
 そしたら、Mさんは、
「エッ、なんですか、その、濁り掬いとかいうのは……」
「ああ、はい、それは、ですねえ……」
 というふうに川のことで団欒(だんらん)が弾んだ。
 「濁り掬い」というのは、つまり、川がひどく増水すると、魚たちはなるべく流れのひどくないところへと身を寄せる。日頃は川の真ん中あたりや深みで過ごす魚たちも、少しでも流れのきつくないところへと移動するのである。そう、つまりは川の真ん中あたりはすごく剣呑な状態になってしまっているわけだから、岸辺へと身を寄せてくる。そこのところを、長竿の先に叉手網(さであみ)をくくりつけて、濁流に差し入れる、そして掬い上げると、大小様々な魚が入っている、という具合だ。傍で見ていて面白いように魚が捕れるが、ただ、これはやはり熟練した人でないと無理であろう。濁流のすぐ傍で濁り掬いをするのは、たいへん危険な作業だ。
 さて、それで、雨がもっと降った場合、当然のことながら川の濁りは増してくる。
「そうすると、赤濁りですたい」
 とMさんに言ったら,
「赤濁り、ですか」
 怪訝そうな反応だった。あ、いや、そうだろう。いきなり「赤濁り」と表現されても、ピンと来ないのではないだろうか。そう、性格に言うならば、笹濁り状態の川は、雨がどしどし降り続くと徐々に濁りを増してくる。上流の山間部の土砂が流れに混じってくるので、言うなれば土色が増してくることになる。そのような、ひどく川の水が濁った状態を人吉の方では「赤濁り」と呼んでいたわけである。
「いや、ま、川の水が真っ赤っ赤になるわけではなくて、その……」
 と口ごもっていたら、マスターが、
「いやあ、大げさに言うて居るわけだろう」
 助けてくれた。
「そう、そぎゃんです。いやあ、やはり、血のように赤いわけではなかですからなあ」
 まさか、濁流の色が真っ赤っかであるわけではないのだ。だが、水量がひどく増えて、川の水が流域の山間部の土の色を反映してひどく茶色く濁ってしまうのであり、そのような状態を「赤濁り」とわたしたち田舎の子どもたちは言い習わしていたわけであった。
 笹濁り・赤濁り、久しぶりにそのような言い方をしたなあ。梅雨だなあ、と、コーヒーを啜りながら感慨深かった。
 その日も、翌日も、雨が降った。
 翌日の朝、川の状態が気になるので傘を差して見に行ってみたら、いやあ、かなり増水していた。気のせいか、いつもであれば河畔に立つと水の匂いが立ち上ってきて、気持ちが良い。しかし、その日は気のせいか、いつもと違って濁流特有の匂いが、うっすらとではあるものの漂っていた。つまり、球磨川は、まだ心配するような状態ではないものの、すでに笹濁り程度ではなくなっていた。かなり水量が増していた。「赤濁り」と呼んでかまわぬような状態であった。
 後で、少々気になったので『広辞苑』を本棚から引っ張り出してみた。そして、「笹濁り」「赤濁り」について記載があるかどうか、確かめてみた。そしたら、「笹濁り」については、「水が少し濁ること」と説明してある。ということは、全国的に通用する言い方だと思って良いのではないだろうか。しかし、「赤濁り」は、載っていなかった。とすれば、ははあ、もしかしてこれはわたしたち人吉盆地の子どもたちだけに流通していた方言だったろうか。
 そこで、さらに今度はインターネットで調べてみたら、「笹濁り」は「水が少し濁る様子を笹の葉の色に例えた言い方」とあった。うん、やはり他の地方でも通じる用語のようである。
 しかし、である。もう一つの「赤濁り」については、次のようなことが書かれてある。
「麦芽をロースト(焙煎)して、カラメルのような風味に仕立て上げたエールビール」……まったく違う話題、エールビールについての説明であり、いやはや、これにはまいってしまった。
 うーむ、そうか。「笹濁り」は標準語というか全国共通語であるものの、「赤濁り」の方は、残念。あれはまったく人吉盆地でしか流通していなかったようである。いや、もしかしてわたしたち狭い町内の子どもたちだけで交わされていた言い方に過ぎないのかも? なんだか不安になった。
 それで、人吉市に住む友人に電話して、
「ねえ、あんた、雨が続いて川が増水して、ちょっとだけ色が変わってきたら、笹濁りと言っていたよな」
 そしたら、友人は、
「うん」
 それで、もう一つ、
「川がひどく濁ってしもうたとき、〃赤濁り〃って言ってたよなあ」
「ああ、うん、そういえば、そぎゃん言いよったよなあ」
 友人は電話先で嬉しそうに答えてくれた。 彼は、同じ人吉ではあるものの、球磨川を挟んでわたしとは反対側、南岸の方で育っている。南岸は人吉市立東間小学校、これに対してわたしたち北岸の方は東小学校といううふうに、校区が違っていた。だから、もしかしたらまったく異なった言い方をしていたかも知れないな、と勘ぐってみたのだった。しかし、彼もまた「赤濁り」というのを知っていたではないか。
「そうよな、球磨川は時々赤濁りしよったよなあ」
 わたしは、なんだか、少々気楽になることができた。
 
2025・6・19